井上ひさしの才気は止まることを知らない。今回も新国立劇場での「夢の裂け目」。3月に「紙屋町さくらホテル」を観たばかりに、いても立てもたまらず、5月30日にでかけた。前回は中劇場であったが、今回は小劇場。舞台が目の前で、役者の息遣いが聞こえてくる。席は300程度で芝居小屋といった雰囲気。客層の中心はわが世代だが、隣には新聞の切り抜きを手にした大学生らしき若者も。寿司食いねえ、と声を掛けたくなる。
新国立劇場舞台監督の栗山民也から「なにか書いてみませんか」と声をかけられた。栗山の今年度のテーマが「時代と記憶」。元ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの「過去に目を閉ざすものは、現在においても盲目である」この発言をずっと意識してのもの。これを聞いて井上の、耳の中の記憶にあった「デス・バイ・ハンギング」(絞首刑)がよみがえった。NHKラジオ放送で当時7日間にわたって放送された東京裁判での判決文。ウエッブ裁判長が読み上げた奇妙なほどの平板な声。1948年山形県川西町の中学生だった井上の耳にこびりついていた。それからが凄い。資料として読んだのが「国際検察局尋問調書」全52巻と、東郷茂徳被告の主任弁護人を務めた西春彦資料、ダンボール箱で10箱。これを読了してからの戯曲化だ。遅筆堂を任じる井上のペンの動きはどうであったか。そして、ここの手だては紙芝居と思いつく。そこに行き着く彼の脳の回路を一度覗いてみたいものだ。
これからが井上の真骨頂。「ひょっこりひょうたん島」仕様の音楽劇ぐらいに理解してほしい。舞台上の4個の穴ぼこに4人のミュージシャンが入り込んで、台詞を音楽に乗せる。主人公「しゃべる男」の登場。生まれて三日目で、オコンチワといい。5歳の時に父に代わって借金取りへのいい訳をする。12歳の春に家出して講釈師に。住み込み5年目で無声映画に惚れ込み、活動弁士に。一本立ちしたところに、トーキー映画が出てきて弁士失業。変わり身が早く、不死身の男は紙芝居屋に転身。戦争中は軍の手先で軍国紙芝居でのし上がる。そして戦後のある日、GHQ・国際検事局から検事側証人としての出廷命令。
しかしこの勘のいい男、この裁判に疑問を抱く。どうも東条英機ひとりに罪をなすりつけて、何かをすり抜けようとしているのではないか。それも日米示し合わせての馴れ合い裁判ではないか。ウエッブ裁判長の平板な、熱のない声も、ここに由来するのではないか。男はこれを新作紙芝居の最後に訴えていく。どこも大盛況。だが、そうは続かない。当然GHQは彼を拘束する。そして、彼の一番得意の紙芝居一作を禁演で釈放となる筋書きだ。
いつものことだが井上戯曲は庶民が主人公。まるで旅芝居をやっているような気安さで近寄ってくる。重い課題を観客に感じさせない。今回も紙芝居屋という庶民への愛情を通して、東京裁判のカラクリを説き、戦争責任なるものを問う。どうもこの手法のルーツは、浅草フランス座にあるみたいだ。井上が上智大学時代にここでアルバイトをしていたのは有名。ご存知フランス座は渥美清を輩出した喜劇のメッカ。舞台の袖で、お笑い芸の真剣勝負をじっと見つめていた。それが花開いている。山田洋次に似ている。そういえば、寅さんだ。
大江健三郎さんと入善町であった。講演と光さん作曲のコンサートに家族で来町してもらった。井上ひさしを朝日賞に推したのは、磯崎新と私です。彼は凄いですね。恐妻家にして、右翼に屈しないのがいい。ノーベル賞喜劇戯曲賞があれば、井上で決まりといえる。大江さんも、井上のこの2作を観ていて、話が盛り上がった。