新聞協会賞2度取った男

 スクープで新聞協会賞を取ってみたいと、記者であれば誰しも思う。それを2度も取った男がいる。01年に高知新聞で「高知県庁の不正融資を暴く県闇融資」、12年に朝日新聞で「福島第一原発事故に焦点を当てた連載企画・プロメテウスの罠」。57年高知市生まれの依光隆明・朝日新聞諏訪支局長。この3月末で退社する。高知新聞から朝日新聞に転じているが、朝日の役員が高知新聞社長に礼を尽くしての大スカウト劇だった。若手記者ならいざ知らず、当時51歳ということもあり、大赤字の朝日新聞が地方紙のエースを引き抜いたと週刊誌は報じた。2月20日富山での講演会を快諾した依光は「ジャーナリズムと調査報道」という演目で語りかけた。うわつかない話しぶりは、沖縄密約を暴いた毎日新聞・西山太吉に似ていると思った。

 まずは、高知の闇融資。97年春に知人から県職員の話として「県庁で何か起きているぞ」と聞き、そのあとに「僕は怖い」という県職員の言葉を添えた。ピーンときて、この知人にもう少し詳しく聞いてくれ、と頼む。聞き出したのはキーワードである「縫製、融資、南国市、同和」だけ。知人にもその友人にも迷惑はかけられない。まだ海のものとも山のものとも分からないので、自分ひとりで調べるしかない。仕事の合間にこつこつと調べていった。報じたのが00年3月だから、何と3年を要している。

 高知は部落解放同盟の力が強い。その幹部が関わる縫製企業から求められるまま12億を公的資金で融資したが焦げ付いた。その焦げ付きを隠すために、3月31日に銀行から借り入れ、4月1日に返却する。県帳簿には残らない「転がし」だ。これを突き止めた。高知新聞の経営は同和、県などの影響の大きさに迷いを見せる。野党県議に質問をさせて、それを報道する手もあるぞとも。しかし、やろうと決める。副知事含め幹部5人が実刑判決を受けた。武器は紙面、エネルギーは読者の応援というが、この時の読者からの反響が全く違った。朝刊が来るのが待ち遠しいという声があふれた。一方で、実刑を受けた県幹部を思いやる。取材でいつもお世話になった仲である。自分の懐にはびた一文いれていない。それでも社会的地位も、経済的安定もすべてを失ってしまった。因果な商売だとつくづく思う。

 次は、朝日のプロメテウスの罠。三顧の礼で迎えられた依光は特別報道部のトップに据えられた。しかし、小さな高知新聞みたいに縦横無尽というわけにはいかない。その官僚体質、内向き体質に大いに戸惑う。どんなにいい記事も、十分な紙面を与えてもらえない。政治部、経済部、社会部などの記事を抑えて一面トップを取るには、「社内根回し」が不可欠だった。でも、彼は腐らず、粘る。福島原発事故の爪痕を鋭くルポする記事を手に、幹部に迫る。1面がだめなら3面でどうです。3面の端に細長いスペースでいいから毎日紙面を確保して欲しいと直談判。それを勝ち取った。11年10月から16年3月までの長期連載となった。また政府非公開の「吉田調書」をスクープしたが、「間違った印象を与える表現だった」として取り消したうえ、捏造などの不正があったわけではないのに取材記者を朝日は処分した。誰よりも激しく怒り、会社の上層部に抗議したのが依光。部員からも大いに慕われ、尊敬された。

 根っから取材現場が大好きなのだ。諏訪支局長はたったひとりの職場だが、霧ヶ峰のメガソーラーの暗部を掘り起こしている。高知も心から愛しているのだろう。「土佐ちりがみ交換一代記」「白球黄金時代―土佐商業」など権威主義とは無縁な仕事ぶりがいい。朝日に転じても、格好つけず、野心も見せず、地道に徹したことが結果につながった。ふらりと小さなカバンを肩に、魚津に現れた亡き筑紫哲也もそうだった。ジャーナリストに必要な資質とはこんなものである。

 朝日が特別報道部を存続しなかったのは、権力に立ち向かわないという白旗。もし、依光が特別報道部トップで森友に挑んでいたら、こんな結果にはならなかったろう。

 

 

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