ブッシュ・小泉の日米首脳会談がとにかく始まった。ペリー来航以来、これほど親密な日米関係はないという日本政府首脳の認識である。テキサス州クロフォード。ブッシュの一言でキャンプデービットから、私邸のあるこの地に変更されたという。2001.9.11以降クロフォードに招かれた世界首脳はロシア・プーチン、英国ブレア、スペイン・アスナール、オーストラリア・ハワード、そしてわが日本・小泉。何となくブッシュの下心が見えてくる人選だというのがわかる。中国・江沢民も、韓国・ノムヒョンも望んだのだが、体よく断られている。
二人で親密に話しこんだとあるが、とても信じられない。ブッシュはA41枚の資料を読むのがやっとの集中力、一方小泉にしてもワンフレーズでのメリハリだけ。2時間かけたとあるが、かみ合った会話にはなってはいないと断言していい。
もっとも恐れるのが、力の差が歴然とした相手との交渉の息苦しさ。弱者の方は相手を怒らせたくないと思う余り、擦り寄りすぎることだ。鈴木善幸が米国訪問の後すぐに辞意を漏らしたのは、このことに起因している。確かにアメリカ人一人ひとりを見ると、おせっかいなくらいにやさしく、率直で陽気だ。しかし、国家としてのアメリカは違う。国益をまっすぐに追求してくる。民主主義の伝道者と振舞うのは、自分が圧倒的に優位だということを認識した時だけ。施してやるという態度だ。ところが、相手が力をつけてきたり、敵対してきたり、自分を凌駕しようとしてきた時には、異様なまでに嫉妬心を燃やし、いったん敵対しようものなら、その憎悪は止まらない危険な側面をもっている。いわばその範囲内での交渉、付き合いということになる。抑圧的寛容という、相手の機嫌を損じない範囲内ということ。
これを抜け出しそうなのがドイツ。フランスと組んでイラク攻撃に賛意を示すことはなかった。これも大戦後、東西ドイツの再統一を視野に、フランスといつも話し合い、信頼関係を醸成してきたことに尽きるし、EU統一という気の遠くなるような交渉を積み重ねてきた成果でもある。そして大きいのはドウ・ゴールの存在。独自の核武装、フランス領内からの外国軍事基地の撤廃など、アメリカの神経を逆なでしてきた。逆なでしても当時はソ連が控えていた。アメリカは我慢するしかなかったのである。シラクもこの伝統があるから、しっかりものが言えている。そしてドイツには、自ら身銭を切ってドイツ統合を成し遂げた自信が裏打ちしているようにも見える。
もうひとつ。アメリカが気が狂ったように猛爆しても屈しなかったベトナムの凄さが思い起こされる。確かに中国の全面支援があったにしても、その凄さを減殺するものではないと思う。地下壕をひたすらに掘り続け、自らの屍を乗り越える愛国心とは何か。アメリカはベトナムでの自国兵の遺品をいまだに捜し求めているという。それではあの猛爆で亡くなったベトナム兵、枯葉作戦で傷ついた農民はどうなったかにアメリカは思いを及ぼさない。あれほど自国民を大事にするのに、他国となると虫けら同様の論理は全く理解できない。日米同盟がある限り、自動的にわが国も守ってくれる足ながおじさんと考えるのはおかしいと思う。
21世紀の日本外交がこの抑圧的寛容の範囲内ということであれば、やはりつらいものがある。理想のない現実追随外交は長いものには巻かれろと、行き着く先は無気力と退廃だけだ。小泉の帰国を国民はどう受け止めるのだろうか。小泉に先立って米国を訪問したノムヒョンは光州での帰朝報告会で、国辱外交と学生デモに立ち往生している。北朝鮮問題は韓国がもっとも厳しい選択を迫られているといってよい。この韓国と、また中国との連携が不可欠なのに、靖国問題が小骨のように喉に突き刺さり、動けないとしたら、日本の責任は重大である。またアメリカもこの三国が連携するのを嫌い、分断しているようだ。そうだからといって、靖国をいいことにこの分断策に乗るのは愚かなことである。
9.11以降、アフガン支援、北朝鮮拉致問題そして核開発疑惑、イラク攻撃支持、有事法制、個人情報保護法可決、日米首脳会談と、何となくきな臭い方向に進みだしていることは間違いない。