ついにというか、身近に勲章受章者が現れた。新湊小学校同期の矢野忠・明治国際医療大学名誉学長が、瑞宝中綬章を受章した。瑞宝章は公務及びそれに準じるものがその職務に格段の功績があったということで、事務次官クラスが大綬章で、部長クラスが中綬章ということらしい。鍼灸の未開分野で先頭に立ってきたのは間違いない。明治国際医療大学はすぐに「永年に亘り教育・研究・臨床を含めた鍼灸医学の確立に携わり、大学の発展に尽力されました」と広報している。その大学名だが、2007年までは明治鍼灸大学と称していた。1983年に鍼灸を教育する日本初の4年制大学として発足しているのだが、この大学名の変更に、矢野の苦悩が隠されている。
鍼灸師はかっては視覚に障害のある人がもっぱら正業にしていた。それが実入れがいいと晴眼者が多く参入し、専門学校も増えて過剰となり、開業しても生活が成り立たなくなってしまった。当然鍼灸学部への志願者も激減していった。鍼灸の看板では学生が集まらないのだ。しかし、真の原因は鍼灸マッサージ行為が医療保険や、介護保険の対象になっていないことだ。西洋医学中心の政府や医師会からすれば、特にエビデンスもなく、医療行為と認めるわけにはいかない。まして医療福祉財政は火の車である。柔道整復師には辛うじて認めているが、鍼灸師会の政治力の無さも歴然としている。
ところが高齢化社会の当事者目線で見ると、まったく違う光景が見えてくる。未病や生活習慣病にみられるように慢性的な疾患では治らない、治りにくい疾病が多くなっている。特定できる病因モデルには西洋医学は実に効果的であるが、病因が特定できない慢性疾患には効果が分かりにくい。そうした医療機関の落ちこぼれ患者こそが鍼灸の対象となっている。患者の満足感がすごく高く、直接患者の身体に触れるので、とても心地よい。末期の寝たきり患者にとっては、これこそ究極の医療といえる。これが保険でまかなえない。患者の満足度はすごく高いのに、科学的な証明(EBM)が得られないからだ。そのための臨床研究となるとその費用を誰が負担するのか。これも大きな問題となって前に進まない。鍼灸の先端を走ってきた矢野の悩みである。
矢野と親密に付き合い出したのも不思議な縁である。彼は池袋にあった東京教育大学の理療科教員養成施設に通っていた。弱視であった矢野の将来を両親が慮り、そんな進学先を考えてくれていたのだろう。その頃の当方の下宿は北池袋で、いつもたむろしている書店の前でバッタリ出会い、すぐに呑みに行こうとなった。関係は続き、当方が卒業した後に、その下宿に居抜きで入ってくれた。
明治国際医療大学は京都府南丹市にあるので、現在矢野は嵐山の渡月橋のそばに住んでいる。数年前に立ち寄ったが、最近の観光ブームには閉口しているといっていたが、確かに渡月橋は人をかき分けて進まなければならなかった。
そして小生の悩みである。勲章制度には、一貫して廃止すべきだと主張してきた。そもそも人の優劣を国家にゆだねるなんて、とんでもない所業だ。といってきた手前、おめでとうとはいえない。