ジョブズの禅僧「宿なし弘文」

 スティーブ・ジョブズを身近に感じたのは、越中瀬戸焼の釈永由紀夫の作品を愛用していると聞いた時である。1996年、京都で開いた釈永の個展に、ジーンズ姿でやってきたジョブズは作品を手に取り、すべてほしいとカードを差し出した。ヒッピー風の若者のカードは信用できないと釈永は突き返す。こんなエピソードが語り継がれ、釈永は脚光を浴びることになった。

 世の中は不思議なもので、11月5日立山町にある越中瀬戸焼の展示館「陶農館」での会議に招かれていた。その準備もあり、本屋をぶらついていると発売されたばかりの文庫1冊が飛び込んできた。「スティーブ・ジョブズの禅僧 宿無し弘文」(集英社文庫)。IT勃興期のサンフランシスコに、禅道場が存在していた。この取り合わせがアップル誕生の素地となっていく。

 禅僧・乙川弘文の人生を追ってみよう。1938年新潟県加茂市の定光寺で生まれ、駒沢大仏教学部、京大大学院と学び、永平寺雲水として修行を積む。生まれながら禅の純粋培養で育っている。67年に先発していた僧からの要請で渡米。カリフォルニア奥地に禅道場を開創し、指導にあたる。インド放浪から帰った20歳のジョブズはこの禅道場に通い始め、弘文に出会い、心酔していく。実家のガレージでアップルを立ち上げたのもこの頃。25歳の時にアップルは上場し、長者番付に名を連ねる。「弘文に遭いに行こう」が口癖で、来るもの拒まずの弘文は受け入れた。アップルがうまくいかなかったら、日本に行って坊さんになるとまでいっている。無欲恬淡な弘文はジョブズの豪邸に住んだり、ジョブズのカードで買い物したりだったが、それでいて媚びるわけでもなく、余ったものを使ってやっている感覚だったのだろう。

 「座禅で直感が花開く」「禅とは掃き清めること」「小さな自分の存在を忘れた瞬間、全世界が現れる」。ジョブズはアップルを石もて追われたのが85年30歳の時、ネクストを立ち上げたが失敗続きだった。96年アップルに復帰するが、この時のアップルもひん死の状態で、ジョブズに託すしかなかった。戻ってきたジョブズは「シンク・ディファレント」と叫び、iⅯac、iPod、iPad、さらにiPhoneと世界の在り方を変える製品を矢継ぎ早に世に送り出していった。10年余の経験が禅の思想に裏打ちされて身に着けたカリスマリーダーシップが説得力を持ち、成功に導いた。

 ところでホッとするのは、弘文の英語は東洋訛りが強く、長い間のある独特な話しぶりで、ゼングリッシュと呼ばれ通じていなかった。その弘文も02年スイスの湖で娘の摩耶と一緒に水死してしまう。65歳だった。それを聞いたジョブズは泣き止むことはなかった。そのジョブズも03年がんの宣告を受け、11年に亡くなっている。56歳だった。

 この著者は柳田由紀子。新潮社で「芸術新潮」などの編集に携わっていたが、スタンフォード大学に留学し、01年に米国に移住している。ほぼ8年掛けて127名の証言を聞いて綴った。労作である。そして感心したのは新潟日報が2016年にこれを連載していること。弘文が加茂市出身ということだが、地方紙ならでは嗅覚とその勇気に敬意を表したい。

 最後にもうひとつ。あのトランプに座禅を経験させたいのだが、どうだろう。

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