じゃんけんロボットが超高速の後出しで、人間相手に勝ち続けている(朝日新聞10月7日)。実にわかりやすいロボットだが、これとは対極の「ひとりでは何もできないロボット」の開発ストーリーが出版された。「弱いロボット」(医学書院)で、著者は60年生まれの岡田美智男・豊橋技術科学大学教授。小学生の時から真空管のヒーターの灯りにワクワクし、半田ごて大好きのラジオ少年だった。朝永振一郎や湯川秀樹に憧れ、大学では量子力学を専攻する。ところが研究室の配属を決める際になって、じゃんけんで負けてしまい、音声科学や音声認識・合成などを専門とする研究室に配属された。今ではそんな偶然を楽しんでいる。堅苦しいのかなと警戒気味だったが、理科系の几帳面な発想ではなく、文科系のいい加減さが研究開発をリードしていて、なかなかに面白い。
パソコンの能力が増すに連れて、短時間の文ぐらいは発話できるようになった。そうすると、文法的な制約を利用して音声認識の候補となる単語列をあらかじめ予測し、次の発話を用意することで会話が成り立つのではないか、と研究が進む。しかしその組み合わせは「指数的な爆発」となる膨大さで行き詰まる。ここまではNTT基礎研究所でのこと。ここで異動の話が舞い込む。極めて恵まれたケースだと思うが、日本の研究開発の一端が見えて興味深い。
異動先はATR(国際電気通信基礎技術研究所)で、30年前に鳴り物入りで京都、大阪、奈良の県境にできた「けいはんな学研都市」にある。「株式会社ではできないような基礎研究を行う株式会社」として、研究プロジェクトの年限を5~7年として、新しいプロジェクトに潔くバトンタッチし、研究者を絶えず流動させている。
ここで岡田は関西弁のしゃべくりに出会い、テーマは「なにげないおしゃべり」雑談とする。研究所は甘くはない。理屈はいいから、研究内容をデモンストレーションしろとなる。そのデモで理解が得られないと研究資金が獲得できない。MIT(マサチューセッツ工科大学)で生まれた「デモか死か」方式でもある。岡田がCGで作ったのは仮想的な生き物(クリーチャ)の眼球で、トーキング・アイこと「おしゃべり目玉」。「あのなあ」「なんやなんや」「こんなん知っとる?」「そやなあ」とゆっくり二つが交互にしゃべっている。
これがスタート台となった。意味の有ることはしゃべってないが、何かお互い相槌を打ちながら二人の間に感情が行き交う。
このトーキング・アイが取り持ってくれて、オランダへ交換研究員として出かけるチャンスが巡ってくる。研究所を訪ね歩く中で、コミュニケーション研究にもっとロボットが使えないか、もっとヒトと関わる側面にシフトできないかという問題意識が深まっていった。
そしてクリーチャ「む~」の出現である。京都のマネキン作家達が作ってくれた。口のような眼、角のような尻尾、丸みの帯びた体形、発泡ウレタンゴムで作られた柔らかく弾力的な体表、ヨタヨタした動き、乳幼児なみの喃語での応答。この「む~」が障害児の養育現場でその実力を発揮する。いつも先生から教えられるばかりだが、「む~」に子どもが教えようとする。わかった?にキョトンとしている「む~」に、ダメでしょと先生の口調を真似する。高齢者施設でもそうである。いつもはしゃべらないのに、「む~」だとどうしてこんなにおしゃべりが続くのか、となる。また、人は待ってくれないが「む~」は“ゆっくり”の関係構築につきあってくれる。
ひとりでは何もできない、思わず手助けしたくなるようなロボット。人間だって似たようなものである。機能的に完璧を求めなかったからこそ生み出されたソーシャルなカップリングといえる。ロボット精神科医「む~」となるかもしれない。
「弱いロボット」
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