停電がくれた至福

10月20日午後6時過ぎ、横殴りの雨の中を途中にあったスーパーで牛肉を買い込み、金沢東インターから富山へ向かった。わが家の老犬コロは、牛肉であの猛暑を乗り切った。8月下旬はよろけそうにしていて、獣医のいう通りこの夏はもつまいと思っていた。ところが牛肉をやってみたらといわれ、最後の晩餐と和牛を奮発したのが8月29日。それからである。腹水がたまったようにふくらんでいた腹部が引き締まり、声をかけないと動かなかったのが、家のドアをあけるやいなや声をあげるようになった。というわけで一日たりとも牛肉を欠かすわけにはいかないのだ。宿題を済ませたような気分で、高速に乗り込んだ。台風23号に追いかけられるように走る。逃げ切れるかどうか。入ると逃げ場がない選択で、列車との賭けであったが、結果は正解であった。午後4時に金沢を出発した列車の場合、11時過ぎに富山着というほどの遅延であった。高速道は80キロ制限というが、この暴風雨。ハンドルをとられそうでとても走れない。60キロぐらいで、前の車について走るのが精一杯。ようやくの思いで家に辿り着くことができた。早速と牛肉を食べさせたことはいうまでもない。
 さて、わが人間様の夕食である。戸締りはしっかりとやったし、鹿児島の友人が持参してくれた焼酎もある。台風も楽しんでしまえと、ゆるり湯豆腐で一献とあいなった。ところがである。パチンという音とともにすべての電気が消えた。停電である。どういうわけか落ち着いている。停電なんて何年ぶりだろう、小学校の時は週一回停電の日があり、その時は給食がなく、コッペパンを持っていっていたことなどを思い出していた。あっそうそう、座敷に灯明があったのを思い出し、食卓に立ててみた。ろうそくの揺らめく灯りで、焼酎が一段としみいっていく。何という静寂。ひとり、自分と対話するしかない。
 先日届いた義母からの手紙。初孫満1歳の誕生祝いの写真を送っており、その返事だ。おばあさんになれなかった亡娘への痛切な思いが綴られていた。思いは夫たる小生よりも義母の方が強い。そんな事にも気づかない男の愚鈍を笑いながら、焼酎を流し込む。
 暗闇の中で想念が飛び交う。そういえば後藤田正晴が中日新聞の「自衛隊」企画連載のインタビューでこんなことをいっていた。「ひどかったですよ。中国から転進してきた兵隊が悪かった。日本人ちゅうのはね。集団になったら、あかん。ひとりになったら意気地がない」。戦中、フィリピンに行った際、日本兵の残虐行為を眼にしている。イラク派遣はおかしい、日本は領域外に出ての武力行使は絶対ダメだという気骨。後藤田90歳。
 そういえばを、いまひとつ。水上勉の執筆風景。定宿の山の上ホテルでのこと。部屋中に散らばる原稿用紙が、書かれた際の熱を蒸発させるかのように、一枚も重なることなく畳を埋め尽くしていた。他者を座らせることのできない空間は、何と孤独なたたずまいを持っていたことかと語っているのが作家の山田詠美。
 更に飛ぶ。自問自答だ。そういえばわが60歳起業宣言も遅々として進んでいないではないか。口舌の徒と蔑まれるぞ。呼応する人間も少なくてな。それでは全くの責任転嫁ではないか。海外逃亡という手もあるぞ。それは敵前逃亡だ。
 妄想20分。突然に電気がやってきた。テレビが台風被害を次々と映し出し、わが思念も危ういところで救われてしまった。人間は考えないように、考えないように生きているとしか思えない。いつも何かに急き立てられるように過ごしているが、考えてみると何ほどのこともしていない。この停電があと30分続いていたら、小生の人生も変わったかもしれない。停電がプレゼントしてくれた至福のひと時でもある。

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