高畑勲・お別れの会での宮崎駿の涙声に、こんなエピソードを思い出した。富山映画サークルの久保事務局長は職業柄、映画人が富山を訪れるとガイド役を仰せつかる。20年前の97年5月に、高畑監督を案内した。立山の称名滝に案内した時は、数時間飽かずに眺めて、「多数のお坊さんが唱える声明のようだね」と深く受け止めていた。帰途、派手な装飾のパチンコ店が目に入ると、ぜひ店の中も見たいと立ち寄った。興味深そうに店内を歩き、トイレにも入って、飾られた花を触ってみたら、造花ではなく生花ではないかとひどく感心の様子。その夜は無理をいって、交流会を企画し、板前が本職の高畑ファンを自称する会員が腕を振るった。その席で、「おもひでぽろぽろ」のロケ地が笹津駅前の日の出旅館だったのだと明かし、高山線でひょいと降り立って、神通川の山あいとさびれた旅館の風景を頭に焼き付け、絵コンテを描いたという。企画が決まり、監督となるとシナリオに付ける場面のイメージを絵コンテに落とし込んでいく作業がある。鑑賞に耐える質を確保するには、そのイメージに合うモデル風景を探さなければならないのだ。監督自らが足を運び、スケッチしたということ。「圧倒的な表現にこだわったパクさん、僕らは精いっぱい、あの時代を生きたんだ。ひざを折らなかったパクさんの姿勢は僕らのものだったんだ」という背景に、人知れぬ努力があったのである。交流会を辞する時に、とても美味しかったと何と3万円をさりげなく置いていく心配り、メンバーの顔を見て、こいつらカネを持ってない人種だな、と見抜かれてしまったのは間違いない。
アニメ映画の製作には想像を超えるヒトと時間が投入され、当然膨大な製作費がかかる。一説によると、いま製作が進んでいる「君たちはどう生きるか」は300億円ともいわれる。この工面をするのがプロヂューサーだが、高畑勲と宮崎駿は、片方が監督の時は、片方がプロヂューサーを担った。表現者という才能、ソロバンという才能、それを両立させていく才覚と度胸を合わせもっていたということに尽きる。羨ましい限りだが、その交友が55年前の東映動画に始まっていて、特に東映資本と製作費、劣悪な労働条件をやり合う労働組合でふたりは意気投合した。ふたりが新しく広い視野を獲得するための格好の舞台になったのが労働組合だった。いささか我田引水という論になるが我慢してほしい。こうした論議がふたりの間で交わされたのではないか、という想像である。
マルクスを信じるならば、資本家である東映は主要な生産手段を所有し、アニメ製作労働者を搾取している構図に間違いはない。製作の意思決定はすべて東映が握っている。もちろん配収もすべて東映のものである。この体制を前提として展望は開けるか。それでは革命を起こすのか。革命を起こして、我々の理想のアニメが作れるという保証はないぞ。スターリン独裁下の悲惨な文化の衰退がそれを証明している。いずれにしても、現在の東映を改善改良という手法では時間とエネルギーの無駄ではないか。飛び出すしかないという結論でいいな。しかし東映に代わる資本家を見つけても、同じことになるのは目に見えている。それでは自分で資本を調達するしかないではないか。となれば、労働者を雇用し、搾取する側になるということだぞ。われわれは圧倒的な表現を求めているだけであって、労務まで責任を取るというのは同じ東映に代わるだけではないか。マルクスのいう階級的な見方は確かに正しいかもしれないが、我々にも寿命があり、それを待つだけでは時代を生きたことにならない。資本家兼労働者兼表現者、この役割をお互いに交代しながらやっていくしかないようだ。
はてさて、スタジオジブリも現実の中でもだえ苦しんでいる。やはり結論としては、ヒューマンな精神を堅持しつつ、この現実と格闘するしかない。そして、老人たちは、さりげなく3万円置いていくことを忘れてはならない。