威勢のよかったそば屋の主人の顔色がさえない。ここ数年続いている売り上げの落ち込みが下げ止まらない。従業員やパートの削減を考えなくはなかったが、蓄えも若干あるし、何とかしのいできた。しかしここにきて、このままでは駄目になってしまうと確信した。そして店をたたんでしまおうとの思いもかすめる。30年余りもやってきたが、一本調子ではなかった。その都度の不況には対策が立てられた。ライバルのそば屋、うどん屋が見えていた。しかし今回は違う、見えないのだ。いや見えなかったというべきだろう。平日半額のマクドナルド、牛丼250円の吉野屋と競合していたのである。何よりも300円でお釣がくるこうしたチェーン店、コンビニで買って昼食を食べる風潮が直撃していたのだ。こんな事に気づかない自分の勘の衰えがはがゆいし、対策が立てられない自分が情けない、とも。
どうも同業だけがライバルとはいえない時代に突入している。レコード、CD業も然り。デジタル放送から好きな曲をMDに録音してしまうという。音質も遜色ないらしい。こうした動きにユニクロ、しまむら、良品計画の進出とあいまって、ローカルの商店を次々と廃業に追いやっている。そういえば4月から、日経流通新聞が「日経MJ」と題字も変え、敏腕編集長を投入、紙面刷新を行うという。MJとはマーケティングジャーナル。流通ジャーナリストでさえめまぐるしい変化を捕らえ切れなかったようだ。
いみじくも地方の植民地化が進んでいるのだ、と指摘する人もいる。
さてどうする。ここはやはり原点に返るべきだ。ひとりの顧客を見つけ、その人の顔を見続け、「ああ、うまかった」の声を聞くことだ。ひとりの客を満足させられないで、店が成り立つわけがない。ただ売上金額を追ってはいけない。そこに解決策があるはずはない、深みにはまるだけだ。
もうひとつある。それは顧客である消費者が、その店を育てることだ。他人任せの無い物ねだりだけではよくならない。消費の選択枝を消費者の主体で、自らひろげておくことも必要なのである。特に地方では。例えばあの勝手連発想。選挙だけではなく、地域経済の仕組みを変える事にも活用したらいい。この店を、この味を残したいと思えば、出資するもよし、客を増やす手だても、こちら側でやっていこう。そば屋だけに限らない。居酒屋だって、美容院だって、またもっと大事な医療だって、教育にだっていえる事だ。
キーワードは「ボランタリー経済」。自発性に裏付けされた良質な働き手、知恵、人間関係が豊かなる地域社会を作っていくというもの。小生のいささか牽強付会で、勝手な解釈だが、もっと理論的に考えたいという方は「ボランタリー経済の誕生」「ボランタリー経済学への招待」(いずれも下河辺淳氏の監修で、実業の日本社刊)を読んでもらいたい。
そして、特に高度成長の恩恵を十分に享受した世代にいいたい。全共闘世代と呼ばれ、いささか情緒的であったが理想を掲げた世代が、社会に出るや否や、社内競争に巻き込まれ、企業破綻、総会屋の跋扈、外務省某室長などなど社内中堅にあってその片棒を担いできたのである。その罪は重い。その清算をしなければならないのでは。食い逃げ、飲み逃げはゆるされないはず。いま一度社会とまじめに向き合うべきだ。ボランタリー経済の担い手になるのはこの世代をおいてはない。「止めてくれるなおっかさん。背中の龍が泣いてます」。唐獅子牡丹よろしく、いざ出て行こう。
なに?居酒屋とスナックに出資し、廃業寸前のママを救う会を発足させるから、どうぞお許しを、だって。この懲りないエセ全共闘め。