頂門の一針とはこのことか。9月16日午後、開けっ放しにしておいた玄関から侵入したのだろうか。重なった障子の間に押し込められて、高い羽音を響かせていた。てっきり虻くらいだろうと思い、そこにあったティッシュ3~4枚を引き抜いて、ひねりつぶしてくれんと取り押さえたのだが、グサリと来た。右手の中指の先に一瞬、激痛が走った。見ると大きなハチではないか。「しまった!どうしよう」。完全にパニック。そういえば、回覧板で、町内でスズメバチの巣が発見されたので注意されたしとあったのを思い出したが、後の祭りである。
毒性の強い液が、体内に回り始めたような気がする。指先は痛みもあるが、痺れがきている。何か手当てをしなければと、台所の輪ゴムを指の根元に巻きつけてみる。このままショック死ということも、脳裏をかすめる。とにかく誰かにと思うが、昨日からわが家に来ている1歳7ヶ月の孫娘しかいない。階段で顔をしかめていると、心配そうに見上げて、何と歯磨きチューブを手にしている。それを薬だと思って、差し出してくれるいるのだ。余りのいじらしさに涙が出そうになり、このままこの子に看取られてもいいな、とさえ思えてくる。
長男を携帯で呼び出す。昨日、次女を出産した嫁さんを見舞っている。「おい。そこの産婦人科医に応急の処置法を聞いて連絡してくれ!」と怒鳴るも、まったく切迫感を感じてくれず、素っ気無い返事である。続いて次男に「パソコンの前にいるか。すぐにスズメバチを検索して、連絡しろ!」。慌てふためいているようで、頭だけは冷静に回転しているようだ。「そうだ、こんな時こそ」と友人の医師に、と思い付く。
「すぐに救急医療センターへ行け。当番の外科医がいるはずだ。ひとりで運転するな!途中でどんな症状が出るかわからないから、タクシーか、誰かに乗っけてもらえ!」と的確な指示。帰宅した長男の車で、救急医療センターへ。
60男が右手をタオルに巻いて、病室の前で順番を待つ光景だ。おかしいようで、侘しい。周りの数組は、子供を心配そうに抱いた母親と連れそう父親だ。泣き叫んでいる子もいる。ハチに刺されたぐらいで、との思いが募ってきて、順番は最後でもいいな、と思えてくる。受付で緊急度の判断をしてもいいのでは、と救急医療に思いをめぐらせていると、「トリアージ」を思い出した。災害時の医療を施す優先順位である。ショック状態になれば、その時で諦めてください。60年も生きてこられたんだから、もっと若い人に譲ってください、ということになるだろう。
恐縮の体で、病室に入る。年配の老練な医師である。やれやれという表情で「無謀なことをするもんではありません。殺虫剤をシューと一吹きすれば、どんなハチでもコロリですよ」と、指に炎症を防ぐ薬を塗布して、痛み止めとアレルギー抑止剤を処方してくれた。あとに待つ人がいるのだから、とそそくさと出る。新しくなった国民健康保険退職被保険者証を提示して、自己負担分2040円を支払った。
こんな一日もあるのだ。その夜、三男の友人が近況報告をとやってきた。この4月に商学系の大学を卒業して、JA東京に就職している。就職先をJAに絞っていて、いわば希望の職業についた奇特な若者である。日本の農業に希望を見出したいと考えている。現在研修期間中で、信連での金融から肥料の配達まで、先輩について教えてもらっている。いわば、東京での農業協同組合活動だ。収益や効率だけを追求してはいけない教育方針らしいが、それだけで国際競争を乗り切っていけるのか。興味津々であったが論議は深まらなかった。農業従事者の不安や、不満はとても大きい。スズメバチのこの一針を、農林水産大臣にこそ突き刺して覚醒させなければならないのだが。
スズメバチ
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B! -