「手話を生きる」

手話は少数者の言語である。聴覚を失った人達は長い時間をかけて、手話という言語を育て、培ってきた。聞こえない子を「ろう児」と呼んでいるが、ろう児は手話を通じて、学び、遊び、喜ぶ。その手話が母語となって、言葉を獲得していく。その言葉によって、論理的に考えることができて、学力も身に付く。幼児期に母語となる手話を身に付けるかどうかが、その後の人生を左右する。もし耳が聞こえる両親(聴者)にろう児が生まれたら、母語となるべく手話が習得できないので、手話ができるろう者に里親になってもらい、手話ができる同世代のろう児に遊んでもらう。手話こそろう教育の核心である。しかし、この考え方が確立したのは最近のこと。恥ずかしながら不明にして、手話というのは手旗信号の延長で、複雑なやり取りはできないだろうと思っていた。何とも申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 「手話を生きる」(みすず書房)。読了してありがとうと頭を下げたい本である。この書名は東京・品川区にあるろう学校・明星学園に学ぶ中学3年生が後輩のろう児に対して「手話を生きること。そのことを伝えたいと思います」といい切って自らの思いを語り出したのを受けて、著者の斉藤道雄が付けた。中3の彼は両親ともにろうであるデフ・ファミリーの出身で、生まれた時から手話で育ってきた手話を母語とするネイティブ・サイナーである。この時の手話通訳は「手話で生きる」と訳したが、彼は決然と「手話を生きる」と主張した。<手話>という名詞と<生きる>という動詞を示しながら、独特のうなずきと視線を助詞、助動詞にして表出している。母語の手話の上に、日本手話を駆使するバイリンガルといっていい。日本語の母語の上に英語を話す、ロシア語を話すという具合に、日本手話を話していると理解することだ。
 しかし、ろう教育の世界では90年代になっても「聞くこと」「しゃべること」を求め続ける口話法が主流で、手話はその妨げになると否定してきた。これはろう者にとって苦痛しかもたらさず、「9歳の壁」といって9歳以上の知力学力は獲得できないとされてきた。幼児期に十分なインプットがないまま母語を獲得できなかった子は、一生使える言語を持てないことになり、その壁は人間らしい生活が保障されないということである。
 念のために確認しておく。ろう者の手話は日本手話といい、日本語とは異なる厳然たる言語であり、聴者の手話は日本語対応手話でその本質において日本語であり、決して混同してはならない。もちろんアメリカ手話もある。日本に先駆けてろう教育が実践され、ワシントンにあるギャローデット大学こそ、世界で唯一のろう者の文科系総合大学で、2千数百人以上の学部学生は全員ろうで、同じくらいの大学院生や教員も半分はろうである。
 さて、著者の斉藤道雄はTBSのプロデューサーであるがその取材力は群を抜いていて、「悩む力―べてるの家の人々」で統合失調症とは何かを教えてくれ、いままたろうの問題を根深い抑圧の構造から説き起こしてくれた。そして何あろう、明星学園の校長を5年間も務めた社会実践家でもある。ジャーナリストが多少逸脱して現実と関わっていく。かくありたいものである。
 親友の矢野忠・元明治鍼灸大学学長と先日、大阪で会ったのだが、「君らは視力を失っているがまだいいのだ。聴力を失った聾者はもっと過酷な現実に打ちのめされている」と盲学生を慰めるような話をよく聞いたものだという。
 「ろうでいい、ろうがいい」というろう者のつぶやきを、あなたはどう聞きますか。

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