「植民地支配の先兵として」

 何年ぶりの大阪である。4月27日阿倍野市民学習センターで開かれる「アジアから問われる日本の戦争展」のスピーカーとして招かれた。昨年10月の光州行きに同行した井上さんが強く推薦してくれて実現した。戦争展の趣旨に沿うように「植民地支配の先兵として」と題することで、父が1932年に光州刑務所の看守として朝鮮に渡る経緯からまとめてみた。与えられた時間は午後6時30分からの90分。几帳面な父は「わが人生50年の歩み」として細かく編年表でまとめてくれていたので、すぐにまとまった。「平和とは加害者の位置に立てる勇気だ。光州刑務所の看守となって植民地朝鮮に渡った一家。故郷新湊での漁師生活では想像もできなかった豊かな生活が享受できた。その視野の中に朝鮮の人々の生活は入っていない。土地を奪い、コメを奪い、命までも。当時見えていなかった加害の歴史を率直に語ります」。

 メインの講演者は猿田佐世。「新しい戦争前夜に日本の市民が取るべき選択―アメリカっていったいなんやの?!」。70回の講演をこなしているが、今回はちょっと趣を変えて話していた。この4月4日に出された戦略国際問題研究所(「CSIS」)の6回目になるアーミテージ・ナイレポート「2024年の日米同盟 統合された同盟へ」だが、日本側の要望に応えたもので、米側が主導したものではない。日本のカネがCSISに投じられているのは周知の事実。今回のキーワードは米韓比も日本に従え、というもので、単純な米国追従とはなっていない。米国外交の懐の深さといっていい。制度的な日米韓外交の進め方で外務省も、通産省も、文部省も、ジェンダーもあらゆる面で交流交渉が進められ、後戻りできない。米国予算が手厚く用意されており、猿田自身も役割を仰せつかっている。いつまでも自発的対米従属論だと断じていては、ダイナミックに変転する外交についていけないと断言した。というが、わが国にそんな外交を推進する論理も、エネルギーもあるとは思えない。

 それはともかく、大阪には市民活動のしたたかな流儀がある。メインの猿田講演は1000円の参加費、ざっと100人以上なので10万は固い。サブの老人の場合だが基本謝礼が1万円、あとは参加者からのカンパを老人に全額くれる。いわば投げ銭。担当からそんなことを聞かされ、奮い立った。レジュメに両親の写真を入れ、より現実味をアピールした。井上ひさし曰く。むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに、まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと。

 さて、わがスピーチだが、予想外なことが起こった。この4月に神戸大学文学部に入った孫娘が会場にあらわれたのである。にっこり笑ったので、爺さんも笑い返した。面と向かっては口に出せないわが家の歴史が伝えられる。千載一遇とはまさにこのこと。40人ほどの参加者だったが、落ち着いて語ることができた。カンパだが29150円集まり、合計39150円で2泊3日の旅費が賄えた。硬貨で膨らんだカンパ袋を教科書代にしなさいと孫娘に手渡した。わが至福の一瞬となった。

 翌日、大阪中之島の国際美術館で開かれている「古代エジプト展」を見学して、実り多い大阪の旅を終えた。

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