人間の理想郷をこれほどまでに追求した男も珍しい。1973年春、早稲田大学教授の座を投げ打って、「幸福会ヤマギシ会」に入会した。誰もが驚いた。それまで共産主義者を自称し、毛沢東、魯迅を崇め、文化大革命を絶賛し、その理念や動きを精力的に日本に伝えた。60年代後半愛読の「朝日ジャーナル」。新しい思想闘争、連続革命、造反有理、学生の農村への下放闘争など完璧な理想社会が生まれるのではないか、と思わせた。その急先鋒のお先棒を担いでいたのが新島淳良。「僕なんか、文化革命を支持したんじゃなく、参加しちゃったんだからね」。文化大革命の内実が明らかになり、中国への熱が覚め、研究を断念した時のセリフ。そして今度は、ヤマギシ会入りだ。それも自らの身を投げ打っての実践。まるでドンキホーテのように、飛びかかっていっている。創始者・山岸巳代蔵(1901~1961)の後継かともいわれた。ヤマギシズムとは、農業と養鶏を一体化し、共同生活で農村に楽園をと各地に実顕地を造る運動。新島はそこに子供の教育運動「幸福学園」を持ち込む。しかしその理想を遂に見つけることなく、5年後妻娘を「ヤマギシ会」に残し、脱会する。その時の著書が「さらばコミューン」。純粋、無垢、多感、真率とはいえやはり迷惑な人である。いま統一教会、オウム真理教と並んで称される。マインドコントロールにより財産を奪われたという訴訟が相次ぎ、敗訴が続く。この現実を彼はどう思うのだろうか。
わが持論は、真っ黒も論外だが、真っ白も生きにくい、グレイでいこう。そもそもどこにもないから「ユートピア」。金持ちに貧乏人、騙す人に騙される人、永遠の処女に薄汚い娼婦、そんな混在が世の中である。きっと彼が我慢できなかったのは、若く優秀で傲慢なヤマギシ会官僚主義者の台頭、老いて頑迷な旧世代会員とのやりとり。性格が真っ直ぐ過ぎると、そんな日常がすぐ来ることが見えなくなる。
しかしこんな迷惑を振りまきながら、人生の閉じ方は幸せであった。その後も私塾を開き、懲りずに「よりよい快適な人間社会のひな型をつくろう」を提唱していたが、93年再び妻のいるヤマギシに戻る。そこでアルツハイマーを病む。どちらが先かわからない。ようやく安息を、ひとり理想郷を得るのである。家族に看取られて、73歳で逝去。長男のあいさつ。「父が夢に現れ、帰ってきたヨッパライを歌っていました。天国よいとこ一度はおいで、って」。
もうひとり幸せな男がいる。「居抜きの半ちゃん」こと作家・半村良。この男、心から女性を愛した。好きになると一緒に暮らしていた女性の元からフイッと消えてしまう。住まいの家具も衣類も何もかも残し、ヤドカリが宿を替えるように。これが居抜き。こんなことを転々と繰り返しながら生きたのが、この半ちゃん。20年ぶりに妻のもとに帰る。肝臓を病み、車椅子で。68歳の生涯。新宿ゴールデン街でバーテンをしていた経験を描いた小説「雨やどり」を読もうと図書館に出向いたが、すでに先客が借り出していた。
この二人の人生を知ると、高校生の頃友人の恩師・松下ナミ子先生から聞いた話を思い出した。「女は港、男は船。ぷいと航海に出てもいつかは港に帰ってくる」。
いまは望むべきもないか、むしろ居抜きの妻に戦々恐々としている夫たちか。