「大海の磯もとゞろによする浪われてくだけて裂けて散るかも」。源実朝の歌である。鶴岡八幡宮に参詣した際、甥の公暁に暗殺されて、28歳の生涯を閉じた悲運の実朝が多分22歳の頃に詠んだものであろう。「割れて」「砕けて」「裂けて」「散る」。こうまでして畳み込まれると、感受性のやわらかな青年の<踏み外し>願望を刺激しないはずがない。45年前、東京柏木の4畳半の下宿で、この歌を話題にしていた。兄・頼家が将軍の座を追われて北条氏に誅殺され、12歳の若さで第3代将軍に就かされた。鎌倉幕府を取り巻く御家人同士の凄まじい権謀術数が渦巻く中でどれほどの重圧があったか、砕け散りたい衝動に何度も駆られたことだろう、自らの命にも不吉な予感があったはずだ、などなどの記憶である。
急に思い出されたのは、2月の大阪行きに際して数年ぶりに、この時の友人と再会したからである。昨年9月以来のリーマンショックは、彼の経営をも脅かしている。今までもいろいろあり、何とか乗り切ってきたが、今回は難しいかもしれないな、と表情がさえない。酒は進まなかったが、話はここまでの人生分析となった。来し方のみになるのもいたし方あるまい。
何を目指して、どう歩み、どこにたどりついたのだろうか。どうも俺の血の中に、色濃く流れているものが、何かを決めているようだ。母方の血だが、といいつつ、山口瞳の「血族」に及び、隆慶一郎の道々の輩(ともがら)に連なるものを挙げた。思えば、漁師町の片隅にありながら、何かが違っていた。悪たれどもと遊び呆けていても、魚の臭いが街を満たそうとも、家の中はそんなものとは無縁だという空気だった。そんな違和感が60余年の馬齢を重ねても、心の奥底にあるように思う。進学校といわれた高校に入った時もそうだし、駿台予備校でも、大学でも、学生運動で入った政治セクトでも、そして正業に就けないからと選ばざるを得なかった不動産業でも、だ。在日、同和、ヤクザなどこの業界は、参入ハードルが低く誰にも参入しやすい。そんな中で、今までよくやってこれたものだ。
こんな時は、聞き役に回るしかない。不用意な、安っぽい言葉はこれまでの関係を壊してしまう、というより拒絶につながりかねない。若い時の友情とは違う。こうしたもどかしさを受け入れるしかない年齢なのである。ひとり宿泊の阪神ホテルに戻って、ウィスキーを飲むしかなかった。
そして思い出したのである。割れて、砕けて、裂けて、散る、か。ふたりの郷里である奈呉の浦浪もそうである。郷里に帰れば、タクシーを飛ばしても、その海を見ずにはおれないのだ。海を静かに見ている彼の心中に思いを馳せるしかないのである。
大きな時代の変わり目の、その渦中にいることは間違いない。渦中にいるからこそ感じない“なぎ”ということもある。知の軸を持たない我らは、いつもこうした現象に幻惑される。福祉社会といいながら、自己責任もあるな、といい。平等といいながら、格差やむなしとなる。鳩山政権の失態、不統一もあるが、右からの揺り戻しも激しい。普天間問題は特にそうだ。“なぎ”と感じる時が一番危ない。蠢いている反動の動きに警戒であり、マスコミの論調を素直に信じてはいけない。子供手当て、高校授業料の無償化を所得制限無しでやるということは、高額所得者への累進課税とセットでなければならないのだ。この増税を正直に述べて、社会福祉の充実なくしては、多くの人が乗り切れないことを明確にすべきだろう。この政権が変な形で躓けば、その反動として、取り返しのつかない右寄り強権政権が現われることを最も恐れている。60余年生きて、たどり着いた先が、そんな時代というのは哀し過ぎるというもんだ。
実朝忌
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