秋はやはり秋刀魚である。35年前北池袋の六畳一間の下宿。めしだけは田舎から送ってくれるので事欠かない。あと仕送りの日まで何日と数えながら残りの金を数えた日々。そんな時の自炊の夕食は秋刀魚だった。富山では秋刀魚はお目にかからなかった。下宿近くの確か、丸正ストア。店先の皿に盛られた秋刀魚は四~五匹で百円まではいかなかったと思う。もちろん冷蔵庫などあるはずがない。大根おろしをこれまたテンコ盛りにしてひたすら食べる。はいることはいること。悪友を呼んでの酒盛りになることもたびたび。秋刀魚をみるとこの頃のことがなつかしく思い起こされる。
そして佐藤春夫の詩に出会い。これほど秋刀魚を謳いあげたものはないと、ほれぼれとひとり詩に酔っていた。しかし、最初の節のみで全詩を知らなかった。教科書の抜粋のみで完結していると思っていたのである。ある時「おい佐藤春夫の奥さんは、谷崎潤一郎の千代子夫人だってよ」と早熟の友に教えてもらう。そして大学の図書館でその全節を知り、解説を読んで納得し、複雑な男女の機微なるものに初めて触れたのである。
さあ声を出して読もう。時は秋である。
秋刀魚の歌
佐藤春夫
あはれ
秋かぜよ
あらば伝えてよ
男ありて 今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける と
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまのをくれむと言ふに
あらずや。
あはれ
秋かぜよ
こそは見つらめ
世のつねならぬかのを。
いかに
秋かぜよ
いとせめて
せよ、かのひとときの団欒ゆめに非ず と。
あはれ
秋かぜよ
情あらば伝へてよ、
夫に去られざりし妻と
父を失はざりし幼児とに 伝へてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす、と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ げにそは問はまほしくをかし。