タイトルは松尾芭蕉の弟子である森川許六の言である。日本ハムの斎藤佑樹が今季限りで引退をするが、そのはなむけに送りたい。33歳にして過去の栄光を捨てて、転身を図らなければならない。自分の才能は野球ばかりではない。人間として基礎的で、普遍的な資質がこんな分野でも活かされるのだということを世に示さなければならない。これは何も斎藤佑樹に限らない。わが3男のように、水橋高校サッカー部での全国高校選手権出場というちっぽけな栄光でも、そんな思いを持ってほしい。隠れた資質や才能は誰しも共通に持っている。加えていえば、運がなかったというのも禁句である。努力は運を支配する。
そこで思い出すのが、亡き宿澤広朗である。熱きラガーマンにして、冷静なバンカーを演じ切って、55歳で、06年6月赤城山登山中で心筋梗塞のため、急逝した。まずラグビーから触れておこう。埼玉・熊谷高、早大でスクラムハーフとして活躍し、日本代表キャップを3回もやっている。特筆すべきは、銀行に籍を置きながら、日本代表監督を務めた時である。初戦でスコットランド代表と対戦した際、同国代表が練習していた秩父宮ラグビー場に隣接する商社ビルから戦術練習を偵察し、28-24で撃破したのである。何を見ていたのだろうか。すかさずチームに手を打てる力量だったのである。
そして、三井住友銀行での実績である。02年円貨を国際部門で運用する部長だった時に、同部門だけで5815億円の粗利益を計上した。時の銀行収益の3分の1であり、メガバンク平均の3000億円を抜き去ってのトップ。彼の勘と集中力は抜群だった。もうひとつは04年、松下電器の経営ピンチをメインバンクとしてその松下を救った。銀行としては、少しでも多く回収したい。松下としては、少しでも多く銀行に債権放棄してもらい、かつ創業家の名誉も守りたい。双方の思惑が厳しく対立する中で、交渉はほぼ1年続いた。結果は、銀行内部からは、譲り過ぎだという批判の声が多かったが、当時の西川頭取は「量的には銀行の方が痛みは大きいかもしれない。しかし相手の名誉も傷つけず、お互い納得できる解決となった。宿澤の功績です。他の人間ではできなかった」といい、松下の社長は彼がいなかったら、今の松下はない、といわしめた。
といっても、宿澤は書斎不要派で、本を読むとかえって、迷いが生じたり、大局を見失ってしまうと考えていたらしい。ラグビーから得たものは、単純な教育では得られない暗黙知で、自分の座標軸で勝負に挑むことの大切さだ。
お先真っ暗な時代に見える。何よりもリーダーがいないのだという嘆く声が充満している。何事にも連戦連勝はあり得ない。敗戦をどう受け入れ、それを糧にまた、どう挑んでいくか。勝つという実績を持ちながらも、負けていたかもしれないという恐れも合わせ持つ人間。こういう人間こそリーダーに仕立てあげていかねばならない。それはあなたのそばにいる。
そういえば、甲子園で投げ合った楽天の田中将大も限界が見えてきている。斎藤と田中が一緒に起業するのもいいかもしれない。野球少年に野球の次のステージでも、こんな風に生きていけるというモデルを見せる義務が二人にある。
「昨日の我に飽きたり」は、76歳の爺さんにも突きつけている。年齢は関係ない。勝負に出ろ。AIやDXに負けない人文知や、暗黙知があることを示してみろ!