人に定めなし

そんな人生も、生きてみなはれ!突如こんなセリフが沸きあがってきた。落ち込んだ時はひたすら歩くことにしている。しばらくすると、大地のエネルギーが踏み込む足裏から吸い寄せられてくる。当然とぼとぼではこの感覚はつかめない。足の指を開いて、土を掻ききるようにちょっと大股でリズムを取って歩く。つまらぬことぞ、憂うるに足らず、となる。神などは信じてはいないが、もっと大きなものに動かされているのだということは感じている。人事を尽くして天命を待つ、というより、天命を知って人事を尽くす。そんな風に思っているつもりだ。つもりだというのは、時にうろたえ、時に天命を呪うこともあるからである。所詮小さな人間なのである。

そんな日々を送っているとき、黒岩重吾の訃報を聞く。エッセイ集「人に定めなし」は、まるで自分の死を悟りながら遺したくれたものだと思えてきた。この本の刊行は平成15年1月30日、亡くなったのが3月7日。享年79歳。一昨年に肝臓がんだという診断を受けながらも意欲は衰えなかった。

黒岩重吾は述懐する。「禍福はあざなえる縄の如し、という箴言が実感を持って味わえるのも年齢のせいであろう。わざわいが福となり、福がわざわいとなる、禍福はより合わせた縄のようなものだというが、深い人生観だといえる」。彼を古代史に眼を向けさせたのは大阪の府立中学受験に失敗し、奈良の宇陀中学にはいったから。肺結核になり、そのお陰で軍隊から抜け出せて、生きて引き揚げてくることが出来た。肺結核で生き延びれたという。証券会社で働くが株で大失敗、大きな借金を作り、釜が崎のドヤに住むが、これが小説のネタになり、「西成もの」というジャンルが出来上がる。昭和20年代の後半、全身麻痺の奇病にかかり3年間の入院生活。この時、小説を書いて生きる以外に道はないと悟る。直木賞受賞作はこの時の経験を書いた「背徳のメス」。そんな具合である。現在「禍」にあると思う人よ、それは「福」に通じていると思うべきだ。

そして今ひとつの疑問。あんなに酒を飲みながら、なぜ書けるのか。その答えは、こんな凄まじいことをしていたのである。夕方から飲みに出る。ストレス発散を口実に酒場では酔って喋りまくり、何軒も梯子をし、午前1時頃ホテルに戻る。飲む量は、一晩でボトルの半分ぐらい。かなり酔っているが頭の一隅は冴えている。だが酔いを醒まさなければ書けない。そこで季節を問わず冷水のシャワーを浴びて、酔いを取り除くのだという。長くて30分くらい、身体が凍るほど水を浴びていると、脳を光が照らすような感じがして、はっと目覚める。水を浴びているのだから何も眠っているわけではないが、私は水と一体となっていて、無私の境地に達している。この光と覚醒感が、書け、という信号だという。最盛期は1ヶ月に400字詰原稿用紙で400枚から500枚。旺盛な筆力はまったく衰えることはなかった。

梶山季之、柴田錬三郎との交友も面白い。梶山が「ふける」癖を持っているという。「ふける」とは飲んでいていつの間にか消えること。このサービス精神旺盛な男は、最初は面白く遊んでいるがいつの間にかふけてしまう。この気持ちはよく理解できる。しかし梶山が香港で客死する前の日は、最後まで飲み、黒岩に手を振って送ったという。柴錬は勝負強かった。特にカードの腕は抜群だった。黒岩はいつもかもにされていたが、柴錬の最期の病床でやる。どういうわけか柴錬のぼろ負け。黒岩は柴錬の死を感じたという。
最期に黒岩の女性観。女は永遠の謎、これに尽きる。男の思い通りにならないものなのである。危ない橋を渡りながら、ついに死によって、その道も乗り切ってしまったようだ。

もう古代史ロマン小説が読めなくなると思うと寂しい。しかし今は心からお礼をいいたい。「ありがとう、さようなら。黒岩重吾さん」

そして、何ということか鈴木真砂女までが逝ってしまった。「羅(うすもの)や人悲します恋をして」

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