4月25日、遂に東京のど真ん中に出現した。東京ドーム8つ分という六本木ヒルズ。何と歳月は17年、開発費は2,700億円をかけたという。これを推進したのが、森ビル社長・森稔。67歳。東大ではリクルートの江副浩正と同級生だ。森も在学中から「事業部長」の名刺をもち、森家伝来の貸家をビルに建て替えていた。森ビルの創業者・森泰吉郎で、横浜市立大学商学部長から不動産業に転じた異色の人である。
エピソードをいえばきりがない。とにかく年間3,600万人が集まる。地権者は約400人。この説得には30歳代の社員を充てた。17年越しを見越してのこと。森タワー地価6階には自家発電装置。テロでも、空爆でも、最後まで明かりがともっているのがこのビル街ということになる。商業施設にしても、街のイメージに合うか合わないかだけを考えてほとんど決め撃ち。あとには引かず、妥協も排する。サントリーホールのはいるアークヒルズが開業したのが1986年。これを失敗作としてのスタートだけにこだわりにこだわった街なのだ。
しかし、それどもどこかでミスマッチが発生しているはずである。そして見た目の派手さとは裏腹に、有利子負債7,800億も前途多難を思わせる。飽きっぽい世の中である、償却には30年は持たせなければなるまい。森社長の発想力と企業化精神は尊敬に値する。さて、きょうは都市再開発がテーマ。その前に聞いてほしい。
つい先日、わが陋屋の出来事だ。庭先に出てみると、昨夜来の強風で雨樋が吹き飛ばされて落ちているではないか。あろうことか、隣の庭にももう一つ。わが家も築20年、制度疲労が各所に見える。今までは見ぬ振りをしていたが、もう限界と覚悟を決めた。建設会社に勤める次男の親友に電話をする。届いた見積もりに愕然、何と250万円也。雨樋修理には足場が必要なので、この際モルタル壁面も塗り替えたらということになっている。定年目前で、しかも男やもめ。そのうえに三男の仕送りである。何よりも忘れてならないのはわが余命。それほど長くもないのに、一体何のため出費だと考え込まざるを得ない。家なんてものは、起きて半畳寝て一畳。それで十分とも思う。しかし20年前、家族5人で何となく希望に燃えて新築したのに、あっという間に独り。誰が予測できたであろうか。住宅なんぞは家族のそれぞれのライフスタイルで賃貸を渡り歩くのが一番、と今だからこそ思えるに過ぎない。さすがに、住宅はすべて国営で、という勇気は持たない。
考えてみると、わが家も、都市再開発も、本質的には同じ現象なのである。富山駅前のCiCビル。戦後の闇市からスタートし、戦後の成長の中で何がしかの蓄積があり、県都の正面にふさわしい商業ビルを、と鳴り物入りでのスタートであった。それが今、民事再生法を申請しての破綻である。地権者に残されたのは借財だけ。金沢の近江町市場も、その轍を踏もうとしている。防災、耐震ともに、もう限界なのだ。再開発の話が出て、ようやく再開発会社が発足したが遅々として進まない。自らはもう出店したくない、キーテナントに貸し付けてその家賃収入で、と考えている人が大半。民間のテナントが見つからなければ自治体が、という筋書きである。これは何も近江町に限らない。富山市の総曲輪、中央通りの再開発もみんなそうなのである。店の売り上げはジリ貧、打開への打つ手はない、しかも後継者はいない。もう売っぱらって家賃で食べて生きたい。再開発の資金も、テナントも、最後は行政に面倒をみさせろ、ということになるはずである。
東京だからこその六本木ヒルズ、というのは易い。このままでは、富山、金沢から百貨店が消えていくのも時間の問題だと思う。捨てるものと生かすもの。この選別を急がなければならない。すべてを生かしていくことはもはやできない。さすれば、わが家。売ることもならず、十分なメンテもできないとすれば、朽ち果てるのを静かに待つのみということになる。いや待て、パナウェーブ研究所富山分室という手がある。真っ白の家に、真っ白の雨樋の家が、この夏には出現するはず。乞う、ご期待。