コテコテ大阪の旅

 旅というのは意外な発見で面白い。「え!こんなところに」の驚きが心地いい。10月16日大阪駅に降り立ったが、集合時間まで2時間はある。ゆっくり梅田散策と思い立ち歩いていると、堂島アバンザというおしゃれなビルに差し掛かった。「通販生活」の小さな看板が目に入る。ショールームである。実は猫背対策椅子・バランスチェアに興味があって、実際に座ってみたいと思っていた。これも何かの縁と、早速店員に尋ねて座ってみると実に理に適っている。背もたれがないのがポイント。39,690円だが、背筋を伸ばして机に向かえる快適さを1年使って1日100円で買えるのだと思えば納得できる。まだ時間がある。2階を見やると、ジュンク堂書店大阪本店とある。池袋西武の「リブロ」と並び称されたあのジュンク堂だ。3階含めての売り場面積1480坪はやはり壮観である。リュックを背にちょっと歩いたのだが、本の見せ方、揃え方に店員ひとりひとりの思いが感じられる。いま買うわけにはいかないので、手帳にメモをした。あっという間に集合時間が迫っていた。

 この旅は新聞労連OBの会の呼びかけ。これが最後といいながら続く未練たらしい会でもあり、平均年齢75歳。企画したのは近畿地連のメンバーで、「コテコテの大阪」と銘打たれている。初日の宿泊場所は通天閣が目の前の「世界の大温泉・スパワールド」。手首に通行証まがいのチップを巻き付けて、いかがわしさが拭えない。6人の雑魚寝となったが、宴会後の呑み直しが延々と続いた。話題は新聞界の衰退である。5万人を擁した労連は今や2万人を切っている。運動をけん引していた輪転機を回す印刷労働者が別会社化され、組織から切り離されたのが主因。一貫した生産体制を持たないから、他の影響を受けやすく、フラフラする。新聞用紙需要も90年比で25%減少している。部数減の大きさがわかる。販売収入、広告収入、チラシ収入という最強のビジネスモデルいわれた仕組みが崩壊しているのだが、次なるものが全く見えていない。取り敢えずといって、素人の不動産投資と、ITなどの合理化投資を増やしているが、アメリカのラストベルトと変わらない風景だ。翌日はあべのハルカス、新世界、コリアタウンを見学し、豊中市に飛び「森友学園」を見学した。その夜は森友報道で特ダネを連発した相沢冬樹・記者を招いて、NHK批判で盛り上がった。

 何としたことであろうか。この特ダネ連発がNHK中枢が恐怖に陥り、アベ忖度人事を招いた。NHKの人事権は官邸が握り、報道を含めてコントロールしているということ。相沢記者は、今年の5月突然、大阪の報道部から考査部へ異動を命じられた。事件の取材では、NHKの誰もが認めていた。それが大阪地検特捜部捜査のヤマ場を迎えていた時期に取材担当を外すという。左遷というより、記者という生きがいを奪う行為で許すことはできなかった。彼はNHKに辞表をたたきつけた。現在は新日本海新聞社が発行する大阪日日新聞に籍を置き、森友の取材を続けている。55歳だが、ジャーナリストの道を歩み続けていきたいという強い意志でもある。NHKの退廃はひどい。こんなことも年寄りにとっては、格好の酒の種。深夜まで焼酎を挙げつづけた。
 最終の18日は、水陸両用バスで旧淀川の川旅を吉本喜劇ばりのおばちゃんガイドで楽しんだ。さすが川野都、八百八橋である。さあ、これで最後と思った時に、関東地連の頑固爺さんが来年は関東で企画するからと宣言、また続くことになった。

 さて、旅の効用をいえば、こんな具合に話が妙につながり出す妙味であろう。しかし寄る年波には勝てない。頭痛、腹痛には縁がないと過信していたが、帰った夜に腹痛に襲われた。何十年ぶりであろう。芭蕉もかくやと思いつつ、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。

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