人間には短い生涯ながら、様々な運命が待ち受けているものだ。4月16日付け朝刊の訃報。本田桂子、15日未明、虚血性心疾患で死去。65歳。作家・丹羽文雄の長女、とある。そういえばこの人だ。その著書「父、丹羽文雄 介護の日々」をNHKがテレビドキュメントに仕立て上げた。記憶にある方もあろう。丹羽文雄は16年前からアルツハイマーをわずらっている。画面ではほとんど誰だか、娘の本田さんさえわからない状態であった。おそらく娘が亡くなった、この事もわかることはあるまい。文化勲章受賞者でもある文壇の大御所、丹羽文雄。96歳にして、ひとり取り残されてしまったのである、しかも何もわからない状態で。この逆縁の悲痛さも、絶望に近い孤独の哀しみにも、彼の脳は反応しない。生きている丹羽にとって、これはせめてもの救いといえるのであろうか。
「ひと我を非情の作家と呼ぶ」(光文社1984年刊)。アルツハイマー発病直前のもの。あとがきにこうある。処女作[鮎]以来、今日まで13万枚余も原稿を書きつぶしてきたが、この一冊に書いたような告白は、一度も小説にしていなかった。大袈裟にひびくだろうが、私は男女のまじわりに地獄を見てきた。私の人間性が幾度試されたか知れなかった。が、辛うじて最後の線を保つことが出来た。私は浄土真宗の末寺の長男として生まれ、小学生の頃から、説教師の法話を聞くことが好きであった。親鸞の煩悩とか、罪の意識とか、悪人成仏が説かれても、十分理解できたとは思われない。しかし、私は確かに何かを聞いた。」
明治38年の生まれ。ここでいう男女の地獄とは、父と母と義母のこと。父は養子であり、この3人血がつながっていない。それぞれに美男美女。庫裏の中での愛欲、愛憎地獄。このことで母は丹羽を置いて出奔。旅芸人の男と駆け落ちに近いもの。その後も日陰の女として生きる母。丹羽はこの母をモデルに書き続ける。なぜこんなにまで己の恥をさらけ出すのか、というまで。文学者の業なのであろう。文芸評論家は丹羽文学を当初あまり高く評価していない。あくことなく人間煩悩を書き続けられると、誰でも食傷する。そこを突き抜けたのが「無慚無愧」。奥野健男が「丹羽文雄に対するこれまでの私の考えを変えた」といい切った。そのあと「親鸞」「蓮如」の大作を執筆している。蓮如の刊行が昭和57年。この時小生が最も油がのっていた時、富山本願寺100周年記念で丹羽文雄講演会を開いた。県民会館は老若ならぬ老老男女で埋め尽くされた。サイン入りの蓮如全巻がいい思い出。
さて現実に戻ろう。この訃報を最初に聞いた瀬戸内寂聴は「丹羽さんがとうとう亡くなられたか」と早合点している。というのも本田桂子の必死の介護を知っていたからである。時期同じにして、丹羽夫人も脳梗塞を病み、体の自由がきかず痴呆症状が。この両親二人を抱え、しかも父のアルツハイマーを世間体もあり、誰にもいわずにひた隠していた。その重圧とストレスから彼女はキッチンドリンカーとなりアルコール中毒に。瀬戸内は本田桂子に「もう丹羽先生の病気をかくさずにカミングアウトしなさい。これまでの介護の苦労をすべて書いたらどうか」とすすめたのである。その本田さんが先に逝くとは。
暗然としてくる。小生もアルコール依存で、しかも確実なアルツハイマー予備軍。ひとり老人病院をたらいまわしされ、野垂れ死ぬのであろうか。
ああ悔しい悔しい。その前に酒池肉林の極楽なるものを一度でいいから与えられても、バチはあたるまいと思うが。ご同輩いかに。