新しい日中友好へ

子供の火遊びから、とんだ大火を引き起こしている。尖閣諸島を東京都で買い上げるとアメリカでぶち上げた石原都知事だが、この事態にどんな発言をしているのだろうか。9月21日都知事定例会見でこんなことをいっている。「シナが言う領有権がどこに論拠があるのか、政府間で公式に聞いてもらいたい」と指摘。反日デモなどで経済面に影響が出ている点については「私たちが何をとるかという選択の問題。私は日本を第2のチベットにしたくない。日本人は侍の気持ちを取り戻したらいい」。相変わらずシナと呼び、まだ戦前感覚を引きずり、ひとりよがりの侍気取り。これで中国の政治家と冷静に渡り合えるとはとても思えない。
 石原の記憶から消えないのは、昭和46年のこと。当時参議院議員だが、佐藤総理に懇願し、ワシントンで行われた沖縄返還協定の締結に従っている。この時、尖閣諸島周辺に海底油田の可能性が高いということでアメリカのメジャー筋から密かに日米共同開発の申し出があった。佐藤総理はそれを拒否し、メジャー側はならばと相手を変えて台湾に持ち掛けていた。それに刺激され台湾側はにわかに尖閣の領有を主張し出し、それにつられて北京までが同じ主張を始めたのだ、という。青嵐会時代に、政治結社青年社に醵金し、灯台を設置していることもある。老人特有の、われこそ尖閣問題の草分けだという自負がこんな火遊びをさせたのだと思っている。
 領土問題は「ゼロサムの争い」か、「棚上げ」か、「共同管理」のいずれかしかない。石原はゼロサムの争いといっている。こんな火遊びに、野田も、自民党総裁候補も同調しようという構図に見える。そして悲しいことに、次の日本のリーダーをこの中から、選ぶしかないという寒々とした現実だ。日米同盟の強化、集団的自衛権行使の容認、石破にいたっては自衛隊に海兵隊を創設するなど、火遊び言語が羅列されると、こいつら憲法を読んだこともないのかと怒りがこみ上げてくる。20世紀の領土感覚から脱皮しよう。李鐘元早稲田大学教授のいう、領土を「所有から機能へ」転換するという発想である。
 日中国交回復40年の祝賀行事は消えたが、日中の本質をもう一度考えてみるにはいい機会である。国土の広さは日本の26倍、人口は13億を超え、GDPでは日本を超えて世界第2位。何よりもこの複雑極まる国を統治するリーダー層の厚みと迫力に、火遊び言語で渡り合えるとは到底思えない。
 そこでだが、解散をギリギリまで先送りしたらどうだろうか。これから始まるアメリカの大統領選、韓国もまた大統領選を控え、中国の習近平主席の所信表明など十分に聞いたうえで、総選挙をやろう。その間に戦後の歴史にそれぞれが真摯に向きあってみよう。ヤルタ会談、ポツダム宣言、中国・ソ連を除いた単独講和であったサンフランシスコ条約、中華人民共和国の成立、何よりも日本外交の理性である河野談話、村山談話を熟読することだ。その上で総選挙をしても「近いうち」である。見えていなかったものが、見えてくるかもしれない。野田さん、ここまできたら、慌てることはない。もう失うものが何もないのだから。
 ようやく残暑から解放されたが落ち着かない。9月23日立山山頂に挑むつもりで、室堂まで行き着いたが、土砂振りの雨で断念せざるを得なかった。そんな立山にいても、訃報のメールが届いた。新湊の同じ町内で少年野球に興じ、仕事では電通富山支社開設時入社で高度成長のフォローを受けての幸運で、順調な人生であった。長野の旅行先で心筋梗塞に見舞われたが事なきを得て、それから7年後のことである。昭和20年生まれをまたひとり失ったということ。やはりこたえる。

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