新しいヨーロッパ

「ロシアの20世紀はラスプーチンにはじまり、プーチンにおわった」。ラスプーチンは怪僧。シベリア生まれの農民、文字も読めないが、奇蹟をおこなう「神の人」というふれこみでニコライ二世の宮廷に招かれ、血友病にかかった皇太子の治癒にあたった。彼の祈祷がどれほどの効能をあげたか知らないが、皇后アレクサンドラと宮廷の女たちから帰依され、神の使者と仰がれた。精力絶倫の山師は宮廷の庇護を得て、教会を支配し、女性を篭絡し、政治に口を出して、しばしば皇帝をしのぐ怪力をふるった。

一方プーチンは数年前までは無名の人。ボリスの勇猛王エリツィンの「宮廷」に仕え、無表情で陰気な風情の人物が皇帝見習いのポストを与えられると、圧倒的に人気の高い指導者にのしあがってしまった。ソ連の政治警察の世界に育ち、エリツィンの政治警察の長官として腕をあげ、エリツィンの「家族」の寵児となった。プーチンは皇帝見習いに指名されたその日、ご主人とその一族の公然たる腐敗に封印し、「家族」の物質生活を保障することを約束した最初の政令を発表した。プーチンは、古来のロシアの支配者がそうであったように、たくさんの仮面をかぶっている、ひとつの素顔も持たない皇帝に似ている。チェチェン人に対する報復を早くから画策し、市民心理を操る周到な戦略を組み立てて成功を収めた。

皇帝と共産党の時代を通じて、改革と開化はロシアの古い遺産と価値、つまり専制政治、大ロシア主義、首領崇拝と隷従の精神を永続させる手段としておこなわれてきた。暗殺されたラスプーチンはロマノフ王家の滅亡を告げる不吉な謎の存在であった。ソルジェニーツィンによれば、プーチンもいまだ謎の存在である。

藤村 信の「新しいヨーロッパ古いアメリカ」からの一説である。1924年生まれであるから80歳。中日新聞パリ駐在客員で、ヨーロッパ滞在が40年に及ぶ。現在史の歴史家として、後代の歴史家から嗤(わら)われるような文字は書きたくないと覚悟してきました、ときっぱりいい切る。歴史に通じ、気骨の国際ジャーナリストである。ヨーロッパのことにかけてはこの人を置いてない。人間ひとりが死ぬと百科事典一冊文の情報量が消えるというが、彼の知識量、見識こそ十数冊に及ぼうというもの。命の限り続けてもらわねばならない。

はじめての記憶は、プラハの春を主導したドプチェクが、モスクワに召喚され、拷問に等しい喚問がおこなわれたことのレポート。国際政治の酷薄な一面を教えてくれた。月刊「世界」に連載したパリ通信こそ日本の狭隘な世界観に風穴をあけてくれた。

橋本―エリツイン合意はウオッカをあおった末のものだったのか、このプーチンと北方領土交渉をやる力量はわが外務省にあるのだろうか。

ひとつだけ信じたいことがある。このアメリカの一極支配が終焉をむかえざるを得なくなり、ヨーロッパの古いもろもろの価値に救援を見出して、二つの大陸が歩み寄ってゆく事態が大いにあるということ。目前の事態に一喜一憂することなく、歴史の流れを悠然と見据える叡智を、といいたい。

2004年靖国初詣の小泉はどうか。あまりにとらわれ過ぎていないか。「あ、靖国忘れていました、それがどうかしましたか」。それぐらいの坊ちゃん首相であっていいのではないか。いつやるか、いつも念頭をさらないというのでは小さすぎる。忘れた振りも大きな度量である。戦争責任も村山談話と他人言にせず、小泉言語でいってみろ。何だったらオペラ仕立てでもいい。もうそろそろ自分で、国民が納得のいく説明をすべき時でもある。なぜ戦犯の祀る靖国に参拝するのか。伝統だ、習慣だといい逃れはもう許されない。

ことしはヨーロッパに注目しつつ、アジアを考え、アメリカの産軍複合体の真実を見極める。これでどうだろうか。

あけましておめでとうございます。「新しいヨーロッパ古いアメリカ」岩波書店2800円。イスラエル、バルカンすべての事象が、そうだったのかと、ストンと胸に落ちてゆきます。今年もよろしく!

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