軍艦マーチを校歌にしている。もちろん旋律だけだが、歌詞は「世にうたわれし浩然の・・」と格調高い。とはいえ、同じく若者の高揚感を掻き立てるものだ。盛岡第一高等学校だが、岩手きっての伝統校で、石川啄木・宮沢賢治も学んでいる。賢治は「風さむき岩手のやまにわれらいま校歌をうたふ先生もうたふ」と詠み、この校歌が気に入っていたようだ。1968年に甲子園出場を果たし、初戦突破で校歌が鳴り響いたが、スタンドからどよめき、笑いが沸き起こった。ほとんどがパチンコ屋を連想したのである。いつもは和太鼓で違和感はないが、伴奏となると軍艦マーチそのものになってしまう。恥ずかしかったというが、21世紀枠のない時代での甲子園出場は立派である。そして今も、毎朝、校舎屋上で弊衣破帽の応援部員がMをあしらった校旗を片手に、校歌を歌い上げる伝統は生きている。4月21日の朝日新聞別刷でこのことを読み、すぐにユーチューブで聞いたのだが、東北健児意気盛んとつい顔がほころんだ。
唐突な話となったが、ひょんな出会いと思いがけない偶然が重なったのである。岩手一高を話題にしていたのが、この新聞掲載の前日だった。つい新聞に見入る力もはいろうかというもの。岩手・盛岡の中津川病院からの来訪で、わが職場に在宅医療の研修に駆けつけた長村(おさむら)看護師だ。一週間かけてすべてを吸収したいという申し入れで気合いがはいっている。老人は息抜き担当を仰せつかった。世間話でリラックスしてもらおうと、お茶の相手をつとめたのだが、そこで出てきた。長男が盛岡一高3年生で、応援団に属している。冨山に出かける時に「お母さん、冨山の高校はレベルが高く、東大合格数も地方レベルではいつも上位にはいっている」といったという。ここは看護師ではなく、息子の将来を思いやるお母さんの顔である。
看護師職の宿命というべきか、産休の8ヶ月だけ育児にかかわったが、あとは姑にまかせるしかなかった。3.11も夜勤明けでモタモタしていたら、すごい揺れに襲われた。一瞬息子のことも頭をよぎったが現場に没頭するしかない。数日足止めとなり、電話もままならなかった。盛岡に隣接する滝沢村に住んでいるので、息子は列車通学だが、2時間かけて歩いて帰宅していた。問題は彼の部屋である。読書好きが高じて、所狭く、うず高く、床が落ちるくらいに本にうずもれている。それがミキサーを掛けたように散乱した。ついつい甘くなって、本代だというとほぼ無制限に出してやっていたのである。
それを聞いていて、ひょっとして井上ひさし2世になるかもしれないと直感した。「東大はダメですよ。上智大学のフランス科ぐらいを目指すようにいってください。仕送りは最小限でいいですから、とにかく自由放任です。遠くから見守るだけに徹しなさい」と無責任は口調になっていた。
彼女の出張は在宅訪問看護研修だが、こうした雑談、脇道にそれた話が意外と、あの時に聞いた助言ということで役に立つに違いない。旅先での解放された感性でしか、とらえられないものがあるのだ。田舎の学問より京都の昼寝、ちょっと違うかもしれないが、そんなところである。
明らかに時代は変わっている。「坂の上の坂」を著した藤原和博の講演を4月21日に聞いたが、指摘する通りと思いつつ、藤原自身の抜きがたい上昇志向に胡散臭いものを感じた。秋山真之はその後、出家衝動に駆られ続け、自分の思いがかなわないと見るや、長男を僧にしている。坂の上から見た敵バルチック艦隊撃沈の惨劇、虐殺はどれほど秋山をして慄然とさせ、うなされる眠れない夜を続けさせたか。そこに思いをいたすべきである。
盛岡一高諸君よ!石川啄木、宮沢賢治、井上ひさしに続くことだ。
参照/「坂の上の雲はどうなったか」和田春樹(図書4月号)
盛岡第一高等学校
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