ものがたり診療所

3月19日、大安吉日を選んで開院した。その名も「ものがたり診療所」。読者には初見参だが、医療法人のパートナー・佐藤伸彦医師の深い思い入れによる。一度診てもらいたいと思わせるいい名前ですね、と好評である。控えめな性格から広告を控え、看板も8階建てビルの奥まったところに表示してあるだけだ。住所は富山県砺波市山王町で、JR砺波駅南口に隣接する高齢者福祉施設「ちゅーりっぷの郷」1階にテナントとして入居している。待合室も小さく5~6人でいっぱいとなる。
 商売人のDNAを持っている身には、開院も開店も同じだろうと思い込んでいる。朝早く目を覚まし、神棚に拍手を打って、験のいいスーツに、これまた縁起のいい白地のネクタイ(男の伊勢丹で買ったもの)をキリッと結んで、出かけた。60歳を過ぎて、この緊張と高揚感はつくづくありがたいと感謝している。富山西から砺波インターまで高速を走りながら、思いはいつしか昭和32年にプレイバックしていた。年齢を重ねるということは、回想シーンをいくつも持っていることらしい。
 一昨年亡くなった父が闇商売で溜め込んだ資金を元に、新湊の一等地に衣料品店「婦人商会」を開店したのが昭和32年の秋口だった。20坪足らずの小さなものだったが、ガラスの陳列棚にはあふれんばかりの商品を並べていた。紅白の幕を店の周囲に張り巡らし、折り込みチラシも近郷まで配布して、満を持してのものだった。開店前から人が並び、客が押し寄せるようにやってくる。もう押すな押すなの、てんてこ舞いである。飛ぶように商品が売れていく。ようやくのことで店を閉めて、売上金の精算をしている両親を、小学生の筆者がのぞきこんでいたのである。手提げ金庫にあふれた現金は30万円を超えていた。陳列棚は空っぽになっているので、すぐに仕入れをせねばと、父はその現金を懐に、その日の夜行で大阪に飛んだのである。上り調子の昭和の記憶のひとつだ。
 開店というのは、そんなものである。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」がひときわ高く店内に響き渡り、あらゆるところに活気が満ち溢れるものなのだ。ところがどうだ、開院となるとそういうわけにはいかない。第1号の外来はどんな人がやってくるのか、駐車場に目をやってはそわそわ落ち着かない。そんなヤキモキを察したのか、受付を担当する女の子が「いらっしゃいませ」はダメですよと念を押す。予約開始の8時半過ぎ、わが同年代の息子に手を引かれて、車を降り立ったおばあちゃんが最初の“お客さん”となった。その後次々とドアが開き、待合室は埋ることになった。ほっと胸をなでおろしたのはいうまでもないが、何となく物足りなさは残ったのである。
 このデフレ状況で、ますます「せぬがよき」風潮となっている。不安と縮みの負の連鎖といっていい。確かにわが法人も覚束ないスタートである。パートナーという表現を使っているが、医療福祉は医師だけでやり切れるものではない。マネジメントや、世間知というものが必要不可欠といっていい。それを使う使われる上下関係ではなく、対等に智恵を出し合い、足りないところをカバーし合って行く。そんな思いからである。もちろん、その基盤となっているのが基金の構成である。1670万円は11人の拠出でまかなっている。平均すると150万円、これをどうみるかである。退職を控えた団塊世代には無理な数字ではない。退職者用上乗せ金利定期もいいが、直接投資の上乗せは想像以上だ。これこそ、「せぬがよき」文化への反撃のきっかけになると信じている。加えて、60歳過ぎたものの働き方だが、謙虚で、若者を引き立てることが最も肝要であることはいうまでもない。
 さて、その婦人商会もこの6月14日閉店することを決めた。竜馬の姉ならぬわが姉が後期高齢者になるのを機に、50年余の歴史に幕を閉じることにした。さみしいことだが止むを得ない。起業と廃業、新陳代謝の主役交代こそエネルギーなのだ。
 そして、お願い。近隣の方に限らず、ものがたり診療所のご利用をよろしくお願い申しあげます。

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