みせすががき

頃は江戸。男ひとり、遊里・吉原に遊ぶ。浅草寺の境内を抜けて、はやる心を抑えながら真新しい雪駄を気にして、ちょっとうつむき加減に歩く。日本堤にかかる、そこから望む一帯は、この世のものと思われぬ暖かい光に包まれているではないか。見返りの柳を背に、五十間道をそぞろ歩いて、大門をくぐると別世界。武士でも町人でもない。まして大名が権勢をふるうわけにもいかない。この公界(苦界だけではない)こそ誰しも平等。カネは確かに物言うが、カネに飽かす奴はもてるとは限らない、無粋なそれは内心さげすまれるだけ。待合の辻でしばらく休んでいると、「みせすががき」が男をかきたてる。いきり立つというのでない。母なるものへの郷愁が溢れ出てくるのである。遊女たちが身支度を終わると、店の者が神棚に柏手をうち、縁起物の鈴を鳴らす、これをきっかけに、新造が三味線をもって弾き始める。これが「すががき」。遊女たちは二階から降りてきて、見世に並ぶ。営業が終わる引け四つ(午前零時)まで間断なく弾かれる。多分「見世清掻」とあてるはず。

お前さんの敵娼(あいかた)は高尾太夫に決めたから、と聞かされたのが一月前。太夫というは「どこにもいない女」で、これほどの学識、遊芸に達した女性はいないという意味。琴、三味線、鼓にすぐれ、茶道、香合、書道、和歌、俳諧、絵画をよくするスーパーレディ。いや男に、人間に通じている。ところは大三浦屋。初会、裏、馴染みと3回の逢瀬でやっと肌合わせができるシステム。それも太夫がよいというまで待たねばならない。「わちきは嫌でありんす」といわれれば、それまで。「床急ぎ」がもっともぶすい不粋と嫌われた。この3回がすべて花魁道中。箱提灯の若者2人、禿(かむろ)が二人、新造が二人。禿は新入りの14~5歳の女の子。新造は花魁見習いだ。こんな費用がどっと来るのである。揚代金のほかに祝儀がすごい。そう惣ばな花となれば、大三浦屋の従業員すべてに、二階花は身近なものだけ。そのほかに鏡台に忍ばせる枕花など。これみよがしに出すのではない、あくまでもさりげなく。この世界、野暮が最もよくない。ひょっとして数千万円がぶっとんでしまう。

さてその馴染みの夜が今夜だ。やおら宴が終わると、大三浦屋の内儀が曲がり曲がった奥まった部屋に案内してくれる。「おしげりなんし」とにっこり笑って、ぴしりと障子を閉めて出て行く。敷き布団が三枚、かけ布団が一枚。禿がまだいて、菊酒を注いでくれる。シャワー代わりの菊綿をしめらせて身体を拭いてくれることも。なにしろ唐の時代の遊里の歴史である、いたれり、つくせりの究極のもの。やがてきぬずれ衣擦れの音がして、長襦袢は乱れ箱に。吉原遊女に伝えられる格段のとろける媚術、房中術がいよいよ。だが話はここまで。18歳未満の読者にも配慮しなくてはなるまい。これからあとは「吉原御免状」「かくれさと苦界行」(隆慶一郎作、新潮文庫)を。

隆慶一郎の大胆な仮説は、江戸時代に徹底した差別政策を受けた漂流の民、くぐつし傀儡子族、みちみち道々のともがら輩が、自らの城郭を作ろうとたくらんだのが遊里・吉原ではないか、というもの。その細部にわたる物語性は飽きさせない。徹底したヒューマニティを語り、人間の何かを語りかける。隆慶一郎も作家生活5年で急逝してしまった。

金沢・ひがし廓に何度となく足を運んでいるとこの小説を再読せずにはおれなくなった次第である。

スケールの小さい構造改革をいうよりも、ほんものの性特区<廓街区>構想が出てきてもよいのではなかろうか。もちろんこの特区のパスポートは年金手帳。使いすぎには年金が担保されている。男だけとはかぎらないのではないか。男娼の一画もあっていい。

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