韓国からの声である。「なぜ、日本人民は、あのような迷妄に陥り、天皇制下の軍国主義を容認して、人民同士で国家権力の加害者/被害者になったのか。福島の事態以降、3ヵ月見守りながらようやく気がつきました。日本の人々は集団化されると、国家権力にいつでも従属する準備ができているのだということです。集団の中から問題提起する行為を非国民だと罵倒することがまるで和の原理になってしまったのです。わかりきった問題を目の前に置いたまま、我慢しなければなりません。その間に人民は徐々にあの人たちの略奪的な政策と言葉遊びに飼い慣らされていくのです。やがては、人民自らが国家暴力の加害者になっても、まったく恥ずかしげもない妄想に陥って平気でいられることになるのです。恥ずかしさを知らない人は、人間であることを放棄した人です」。「追伸 韓国はもっと深刻です。世界的に核発電所がもっとも密集しているところが韓国です。そして、分断によって、つねに戦争の危険の中に置かれているのです」。1980年の光州民衆抗争に立ち上がり投獄されても挫けなかった版画家の洪成潭(ホン・ソンダム)が「ひとがひとを呼ぶ」(夜行社刊)で書いている。
一方、リベラルを自称してきたわが世代は深刻に悩んでいる。いわば戦後民主主義の申し子といっていい。そんな世代に「改憲」という匕首(あいくち)が突きつけられている。戦後民主主義のすべてを否定するという改憲であり、壊憲といっていい。その改憲勢力が過半を超え、3分の2を得て、戦争ができる国に変わる。迂闊といえば迂闊であるが、高を括り、いつしかぬるま湯「護憲ムラ」を形成していたのであろうか。情けないがわれらが責任であり、致し方ない。否応なく次の参院選が大きな分岐点になる。
それにしてもだが、自民党改憲案はまるで大日本帝国憲法を思わせ、日本維新の会が「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法」とまでいい切る。しかし、リベラルの拠って立つところはどこか見当たらない。どうした活路が見いだせるのか、悩みは深い。
愛読する「ひとりから」の原田奈翁雄編集長から悲痛な手紙が届いた。何としてもこの事態を食い止めなければなりません。「17歳までの大日本帝国憲法下にあったこの国の恐ろしさを、どうあってもこの私の体が忘れることができずに、いままで、生きつづけてきたからです」。ぜひ声を挙げてほしいと結ぶ。
月刊「創」4月号では、原寿雄・元共同通信編集主幹は、沖縄を、原発をどう報じるかだとジャーナリズムの奮起を促している。太田昌秀・元沖縄知事が「沖縄独立論」をぶっている。元知事が公式の場で独立論をぶたなければならないくらい、今までとは違った状況なんだということを知らせなければならない。オバマ政権は今の日本の政治状況の危うさをじっとみている。安倍政権が権力を握り続け、思い通りの憲法を作るなら、日本は完全に歴史認識を誤ることになる。ヨーロッパの新聞論調もそう見ている。日本の新聞だけが、この状況を政局としてしか捉えられないとすれば、物笑いのタネになるだけです。東アジアの孤児は北朝鮮と日本ということになりかねない、と。
さて老人が戦後民主主義の申し子たりうるかどうか、でもあるのだが、唯一挙げるとすれば、ガリ切りである。25歳前後であろうか、組合書記局に最後まで残り、鉄筆に程よい筆圧で原紙に文字を刻んでいく。出来上がると謄写版印刷機を手で回し、組合員数の400枚近くを刷る。それを職場別に分別して、帰宅する日々をどれだけ送ったことだろうか。
そういう思いもあり、丸山真男にならうわけではないが、「 私自身の選択についていうならば、大日本帝国の“実在”よりも戦後民主主義の“虚妄”の 方に賭(か)ける」。
というわけで、601回目を踏み出してしまった。心もとなさ、覚束なさはひときわ強い。体全体が、というより思考能力が思った以上に衰退している。伴走したいという方には申し訳ないが、そこのところは寛恕願いたい。
戦後民主主義の申し子
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