大津プリンスホテルから小1時間。車がすれ違うのがやっとという山道を縫っていく。大型バスではすごく難儀するだろうな、と思う。旅というのは思いついた時から、イメージが膨らみ、既に旅はスタートしているという。鈴木忠志が利賀に早稲田小劇場を開いた時に、バスに揺られ揺られる中にもう演劇は始まっているといっているのを思い出した。 利賀への道すがら、もう心の中で準備が始まっているのだ。さすれば、昨年の9月、メトロポリタン美術館の土肥さんがぜひに「MIHO MUSEUM」を、と奨めた時にこの旅は始まったことになるのだろう。土肥さんは新湊出身、金沢美大を出てニューヨークへ。40年間ニューヨークを舞台に活躍している。 美術館は建物自身が表現。建築家にとっては最高の仕事であろう。このMIHO美術館は世界的な巨匠I.M.ペイ氏。といわれても、私は知らない。しかし、よくもここまでと思う。建物容積の80%が地中に埋没している。 したがって、一見するよりはるかに大きい。石造りの門構えから瀟洒な受付棟。ここからちょっと傾斜のある上り道を歩く。見るからにやさしい照明を持つトンネルを抜けると、神殿を思わせる美術館棟が見えてくる。高齢者用にと電気自動車が走っている。北館は日本美術を主体に、古陶、仏教美術、大和絵、茶道美術で構成。南館はエジプト、ギリシャ、中国、ペルシャの遺跡美術で埋まっている。とにかく凄いの一言。土肥さんが奨めるからか、やはりメトロポリタンに似ている。館内館外ともにチリ一つない潔癖さ。そして外人の鑑賞者が多い。東洋系の収蔵品が多いからかもしれない。一番印象に残ったのが若き日の仏陀像。等身大の立像であるが、まるで若き仏陀が話し掛けてくる。ゆったりと時間が逆戻りする。そして、そこに佇むものをやさしく包み込む。帰っても脳裏を離れない。
今一つが、受付棟のレストランで食べたおにぎりと豆腐のおいしいいこと。無農薬有機栽培。それだけではない、清潔誠実な味わいは絶品であった。信者の方が直接に栽培した食材なのだ。これを建設し、収蔵品を収集したのは神慈秀明会・小山さん。MIHOは名前をからとったもの。聞きなれないが運営に携わる人がみんな信者さん。若く清潔な人が多い。
美術館の建造はやはり宗教団体、株上場で創業者利潤を数百億と獲得したベネッセ、大塚製薬などの企業の社会還元などがいい。それ以外では美術館建造は無理である。行政だけには手を出してもらいたくはない。
さて小生も全財産をはたいてKATSU MUSEUMを建設するか、と。その前に小生らしい邪宗なるものを立ちあげねばならないが。