拝啓 大江健三郎様
この度は私どもの講演依頼を快諾いただきありがとうございました。生徒ともども楽しみにいたしております。ところで、大江さんの講演集を読ませていただきましたが、政治的なご発言に少し気がかりを感じました。講演を聞くのは未成熟で無垢な高校生であります。私は校長として赴任以来、きちんとした教育方針のもとで、君が代も歌うし、日の丸も掲揚させてきました。創立100周年記念講演会の当日もやります。そこでお願いですが、講演においては政治的な話題についてはご配慮をいただきたいのです。教育活動は中立であることを要請されております。誠にぶしつけとは思いますがよろしくお願い申し上げます。敬具」。手紙を送ったのは三条高校(新潟県三条市)の笠原校長。
「校長注文に失望。大江健三郎さん一転辞退」新潟日報1月19日朝刊は報じている。この手紙が原因で三条高校の生徒はノーベル賞作家の講演が聞けなくなった。10月に迎える創立100周年記念に誰の講演がいいか、教職員がアンケートを行い決めたもの。三条市は大江氏の恩師である仏文学者・渡辺一夫さんのゆかりの地でもあり、快諾。また演題も「自立した人間(アップスタンディングマン)ということ」として、「寛容」「人間らしさ」のフランス・ユマニズムの思想を日本に伝えようとした恩師について語りたいとしていた。最近の大江氏はかっての難解な表現手法を捨て、実にわかりやすく語りかける。子供たちに作文を書かせ、自ら添削もやっている。「鎖国にしてはならない」「言い難き嘆きもて」の2冊は確かにぐっと読者に近づいている。その点では実に貴重な機会を、校長が奪ってしまった。その校長の談話だ。「最終的に来ていただけないのは残念。外部からの圧力などはなかった。時間がないので別な方にお願いしたい」。多分「新しい歴史教科書」の西尾幹二でも呼ぶのかもしれない。余談ながら、皮肉なことに大江、西尾は東大同期である。笠原校長のようなこの手の人間は、恐らく何の疑問も感じていないはず。教育委員会のいいなりの、従順な教職員や生徒を生み出すことに驚くほどの使命感を持つ「校内独裁者」。「戦争に行け!」が翌日に「民主教育」に変わろうとも、しれっと教壇に立つタイプ。こんな校長が多いのかと思うとやりきれない。校長はやはり民間からの公募にすべきだ。奈良県での試みに注目しよう。教師たちを出世競争から解放させる意味からもいいと思う。人事権だけで管理する、従属される病理から抜け出さないとどうにもならない。世の中も、教頭だ、校長だと持ち上げ過ぎだ。どんな管理が学校で行なわれているのか見抜かないといけない。そして呼びかけたい。三条高校の生徒会も、教職員も立ち上がるべきだ。校長の講演会をボイコットして、自主講演会で大江さんに頼むべきだと思う。手弁当で駆けつけてくれこと請け合いだ。唯々諾々はよくない。18歳にして小羊のような生き方を選んでしまったら、日本の未来はないぞ。内申書くらいこちらの方から棄ててしまえ。そして、自立した人間を目指そう。
昨年の6月、大江氏と小一時間話す機会があった。入善町で、大江さんの講演と子息・光君作曲の演奏会を開いたおりのことである。講師控え室で横になって、光君の相手をしているところなど、どこにもいるお父さん。主に富山県伏木出身の作家・堀田善衛氏について話してもらった。二人でNHKに出演した時に、出演料の余りの安さに堀田夫人がNHK会長に直談判して大幅アップさせた。夫人は旦那の知性を安売りさせない。そんな貴族的で浮世離れした雰囲気を持った夫婦であったとか。アジア作家会議の内幕めいた話を聞かせてもらった。入善町に来てもらったのも、同町出身の柏原兵三と大学時代に机を並べた仲だったから。でもある時期から文学観の相違して絶縁状態になったようだ。馴れ合って生きていかない厳しさが、彼らの文学を支えているのだろう。
もし時間があれば、堀田善衛の自伝小説「若き日の詩人たちの肖像」を読んでもらいたい。