「胸腺」

「胸腺」をご存知だろうか。胸の中心にあり、10代で最大になり35グラム。性成熟後は急速に小さくなる。この胸腺こそ免疫反応を起こす必須の臓器なのである。免疫が脚光を浴びるようになったのはジェンナーの種痘から。とにかく天然痘という疫病を免疫抗体で地球上から抹殺してしまったのだから凄い。しかしこうした伝染病に二度とはかからないとする免疫の概念は前世紀のもの。いまや「自己」と「非自己」を識別し、個体のアイデンティテイを決定していく生命の最も重要な役割を果たしているのが「免疫」ということになっている。そして、近年最も進歩しているのが免疫学だという。

多田富雄さんが「免疫の意味論」を出版したのが1993年。95年12月に亡妻が胸腺がんと診断された。その時にはじめて胸腺とは何なのだということで手にしたのだが、気持ちも動転していて理解は覚束なかった。多田富雄なる人との初めての出会いだ。34年の生まれだから68歳。多田さんはその免疫学で世界のトップを走っている。胸腺から供給されるT細胞と呼ばれるリンパ球を発見したのである。このT細胞こそ「自己」と「非自己」を識別し、「非自己」を強力に排除する免疫反応の主役だ。そんな多田イメージが頭にこびりついているところに、97年「独酌余滴」なるエッセイ集が出た。最初同姓同名で違う人かと思っていた。「ぬる燗の徳利を一本載せた箱膳の前に独座し、観念する」そして軽い酩酊の中で考えた余滴なるエッセイ。とても同一なる人とは思えない。しかし天が二ぶつを与えたのである。その上いくつかのエッセイは白洲正子との交友が語られ、今や白洲正子を継ぐ目利きでもあるらしいのだ。更に驚くべきことに、新作能の作者だというではないか。脳死と心臓移植を扱った「無名の井」、朝鮮人強制連行を扱った「望恨歌」などである。つまりは医者であり、科学者であり、エッセイストであり、能作者なのだ。それもすべてトップレベルときている。文系の才能が理系の才能を誘発している、とみた。そしてとても心根が「やさしい」のだ。やさしいからこそ多才なのかなと思えてくる。

ところがその多田さんが昨年5月、金沢で脳梗塞に襲われた。意識を失い緊急入院し、死線をさまよった。そして命は取り留めたが、声を失い、右半身麻痺の後遺症が残った。更に読むからに苦しさが伝わってくるのが嚥下障害である。飲み込んだはずのお粥の飯粒が気道にひっかかる。あとはとめどもない痰と咳。痰が絡んで、不自由な身体を折り曲げたり、一晩中立ったり座ったりして苦しむ。うまく咳が出て、痰が排出されない限り、この地獄のような苦しみが続く。胸を切り開いてでも、この痰を取り除きたいと思う夜が幾日も続いた。いまも続いているのであろうか。この偉大な知性が「あの時死んでいればよかったのに」とさえ思う。それを救ってくれたのが献身的な看護をしてくれた奥さん。自分だけの命ではないと、立ち直っていく。そうした死の苦しみの中でエッセイ集を出したいと思ったという。そしてどうしても残しておきたいというものを選び、文字を打ち込めば声になるトーキングエイドで秘書に指示し、書いてもらったのを加えて今年の5月に発刊したのが「懐かしい日々の思い」。研ぎ澄まされたエッセイ集である。

多田さんには悪いが一面ほっとした。病魔は誰にも平等に襲うのである。そして、彼はこう思い定める。私の「地獄篇」を書かねばならぬ。それからの脱出を書いて、人に慰めを与えよう、と。昔の自分とは違う自分が生まれつつあることを感じている。それは鈍重な巨人のように、ひどくゆっくりと姿を現そうとしているともいう。次なる刊行に期待したい。

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