眠りにつく前に、人生の「もし」を想像する。68年の就職先に神田・神保町にある集英社を選んでいたら、恐らくもっと無頼な生き方をしていたのではないか。胃を錐揉むような日々で、いまの健康とはほど遠いダメージを抱えていることは間違いない。40歳前後で不祥事に巻き込まれて退職、裏の道を歩いていたのではないか。旧知のインサイドライン・歳川隆雄編集長が登場する実在の情報フィクサーを取り上げた「黒幕」(小学館)を手にして、その想像は俄然面白くなった。
04年3月東京・丸の内の東京會舘で、現代産業情報500号記念「石原俊介さんとその仲間が集う会」が開かれた。歳川編集長は「列席されている方は、それこそ右から左、表から裏。多士済々の方々が蝟集しました」とあいさつした。検察、国税、警察庁、マスコミの社会部記者、そして東京電力、リクルート、都銀などの広報、総務部の幹部が並んでいるのだが、右翼に混じって暴力団住吉会幹部も一隅で静かに飲んでいる。旧第一勧業銀行出身の作家・江上剛のスピーチが石原の存在がどういうものか明らかにしてくれる。「石原さんには、東京地検特捜部が第一勧銀に、いつ、どんな状況下で、どういう形で強制捜査がはいるのかを、事前に全部教えてもらいました。だから強制捜査なんてないという人に対し、いやそうではない、行内を正さないといけないし、(捜査への)準備もしっかりしなければならないと、自信を持っていうことができました」。
石原は42年桐生市で生まれ、中学での成績がオール5ながら進学できず、中卒で川崎市の昭和電線電纜に就職する。早熟であったのであろう、少年工、共産党入党、ソ連留学、党専従となるが、結婚を機に任務放棄して失踪する。職を転々としながら、情報が仕事になるという動きをつかみ、33歳でジャーナリスト専門学校に通い、ある調査レポートの経営も任されていた。それが大きな負債を抱えて倒産し、その回収にやってきた暴力団とのやりとりで、石原の度胸が買われて住吉会幹部の客分扱いとなって、同じ事務所で現代産業情報の発行を始める。兜町に事務所を設けるまでに、総会屋、暴力団、暴力団企業など基礎的な人脈を作られていった。収入は月2回発行の購読料(年間12万円)と企業からの顧問料で、例えば東電からは年間顧問料600万円である。これらの契約をするのはほぼ総務部で、「政・官・財・報・暴」からのタカリを捌いていくのに情報、人脈を持っている石原が必要不可欠となってくる。そこを泳いでいくのだから、まして暴力団に人脈を持っているというのは強い。といって中立的でなければ、捌いていけないという勘所がいる。稼いだカネの大半は銀座で消えている。そこでの交友こそ、情報・人脈の流れをつかむ肝なのである。これぞと見込んだ男とは徹底的に付き合う。この徹底さこそが情報の質を決めている。リクルート、証券業界の損失補填、イトマン、武富士などの事件の裏側で暗躍するにはこの情報の質は欠かせない。富山出身の木村剛・日銀OBが起こした日本振興銀行事件の顛末はこういうことだったのか、と初めて理解できた。
さて、老人に黒幕となる素質があるのだろうか。情報、人脈では何とかやっていけそうだが、裏世界とのつながりには自信がない。武富士の株式公開だが、創業者の武井保雄自身が裏の人間であり、裏の誰もがこっちにも少し回せ、とやってくる。これはやれない。暴力の前では体が震えてしまう。この気弱さは黒幕としての決定的な資質欠格である。
わが人生の「もし」はやはり難しいという結論になるのだが、神保町に事務所、銀座の高級クラブはしごは魅力だ。夢だけの話でも、格好の睡眠導入剤となる。
「黒幕」
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