毎日の通勤は呉羽山を越え右折する。県立図書館前の通り。曲がるとすぐに、山の登り口に安元整形外科がある。その白い建物の中で、逆縁の痛切な思いを抱きながら、毎日診療にあたる安元三郎さんの胸中を思う。7年の歳月をもってしても、その怒り、悔しさ、悲しみはおさまることはあるまい。
映画を見るのは何ヶ月振りだろうか。5月22日婦中町、ファボーレ東宝。「日本の黒い夏―冤罪―」。熊井啓監督が7年前の蒸し暑い夜に始まった悪夢を、何でも健忘症の日本人に忘れさせてなるものか、とよみがえらせた作品。
1994年6月27日深夜、松本市城北の閑静な住宅街。死者7名、重軽症者586名という有毒ガス中毒死事件、いわゆる松本サリン事件。その第一通報者であり、そして夫婦とも被害者でありながら、犯人に仕立て上げられていく河野義行さん。地元民放報道部長。担当する刑事。彼らの行動を、なぜそうなったかを、高校の放送部員の検証を通じて展開していく。
冤罪。世の中に何が悔しいといって、身に覚えのないことをお前がやったのだろうと罪をきせられるほど悔しいことはない。 子供の思いつきとしか思えないようなカラクリ捜査を続ける地元警察。そのリークを鵜呑みにするどころか、警察の思惑を超えてミスリードしていくマスコミ。これを見た一般市民からの脅迫電話、脅迫状。これが意外と多い、日本の社会のさなのだが。こうして、周りのすべてが敵対して襲いかかってくる恐怖。しかし、河野さんはそれに負けなかった。
県立図書館で新聞の縮刷版をひもといてみた。「会社員は関与ほのめかす 家族に『覚悟して』」「妻と作業 煙上がる」「猛毒の化学薬品扱っていた」。今更ながら、何という不様な紙面なのかと恥じ入る。そして最も嫌なことだが、明らかにしておかねばならない。いつまでもこの冤罪に加担し続けたのが地元マスコミだった。信濃毎日新聞と信越放送。地元警察との信頼関係を優先したからに他ならない。「地方」の持つ、最も大きな負であり、恥であり、罪なるものだ。ここまでやったから引きたくとも引けない、変えたくても変えられない。愚かな力学についつい負けてしまう。相手が弱ければ泣き寝入りさせてしまい、うやむやにして逃げ切ってしまう。今でも、そんな問題は周囲を見渡せばいくらであるように思う。「地方」はこの息苦しい弱点を克服しなければ明日はない。
そして思い起こすのは安元三井さん。当時29歳で、信州大学医学部5年生。早稲田を卒業してから、やはり医者の道を、と目指していた。アパートの窓から風に乗って入り込んだサリンが、その夢をも砕いてしまった。こんな不幸な偶然があるだろうか。あってはならない不幸の上に、冤罪という不幸が重なっている。やりきれない事件だ。
どうすればいい、との問いに、映画はアルプスの自然の中で河野さんが車椅子の妻・澄子さんにやさしく話し掛けているシーンを写し出していた。
映画監督 熊井啓。71歳。衰えぬ情熱には脱帽である。また、河野さんはまだ意識の戻らぬ妻・澄子さんの介護に専念している。
200X年某月某日。60歳を超えている富山県出身の男K。最高裁前で焼身自殺。地下鉄車内で、痴漢容疑で女性から告発を受け、地裁、高裁、最高裁で敗訴。冤罪だと主張するも誰も擁護せず。彼ならやりかねない、の声ばかり。孤立無援で、ひとり憤死した模様。遺書もなし。
【参考図書】
「松本サリン事件報道の罪と罰」
第三文明社
「妻よ!わが愛と希望の日々」
潮出版社