作家の佐江衆一が「黄落」(こうらく)で老老介護の凄絶さを世に問うたのは10年前。夫たる<私>59歳から見えてきた家族の亀裂を綴っている。小説とあるが自らの体験でもある。夫婦、親子、兄弟姉妹関係がズタズタに引き裂かれる。介護実務能力の乏しい<私>には、その無力さが突きつけられる。そして、何よりも堪えられないのが、醜悪な老残を見せる両親に、介護する側のそれぞれの行く末がはっきりと見せ付けられることであろう。舅そっくりの夫の所作に妻は改めて驚き、慄く。親子は年を重ねる毎に、嫌になるほど似てくる。介護の主役は妻である。看るのは夫の両親。生憎な事に割といい関係にあった姑の方が先に逝ってしまう。頑迷な舅、嫁である妻、長男で夫たる私。その関係はより深刻さを増す。食事、排泄、そして老人のうごめく性。地獄は一定(いちじょう)を映し出す。
そして10年後、落合恵子が「母に歌う子守唄」で介護日誌を綴った。こちらは母と子。修羅場は修羅場でも、佐江が見た凄絶さは見えず、さわやかささえ漂い、女同士の気安さが際立つ。介護は女だけのものではないと頭ではわかっているが、現実は厳しい。一方で介護制度の充実がこの10年で確実に進歩していることが、不十分とはいえ実感出来る。
この落合も奇しくも59歳。この年齢は鬼門と思いつつ覚悟はしていたが、わが59歳にも介護の試練が降りかかってきた。3月31日、それは、母がやかんを持ち損ねて火傷を負い、入院をしたという電話で始まった。明治44年生まれの父93歳、大正3年生まれの母90歳、昭和10年生まれの姉69歳。老夫婦の物忘れは進んではいたが、3人の生活には、それなりのリズムとバランスが取れていた。それがこの事故で一気に崩れ去るかに見える。ほぼ70年連れ添った2人が別々の生活となり、まるで直下型地震のように認知が噴き出した。父は「母がいない」と深夜何回も姉を呼び起こす。挙げ句に探しに出ようと、鍵のかかっている玄関をかなづちで打ち付ける。一方、母は入院先のベッドで、あらぬことを口走るようになった。わがあわてふためきようを紹介しておこう。
「今がもっとも大事で、できるだけ声掛けを行い、安心感を植え付けるようにしよう」と姉と確認。ふたりとも既に連れ合いはいないが、複雑さがなくていい。80歳と77歳の叔母達にも顔を出してくれるように頼む。4日の月曜日に、休暇を取って市役所福祉課に飛び込んだ。介護申請手続きである。窓口は、両親のこの年齢で初めてといぶかる。この財政難、よくぞここまで頑張ってこられたと褒めてもらいたいのに、その難詰する眼はなんだ。「介護のベストプランを望みたい。行政サービスだけでなく、自己負担があってもいいから幅広いアドバイスを頼む」と切り口上に実態を話す。そうはいっても、と窓口は声高な申請者に逃げ腰がありあり。その足で母の入院先の医師を訪ね、主治医の意見書を頼む。快諾を得て、父をその医院に連れ込む。その医師の紹介で、ケアマネージャーを訪問。事情を話し、訪問調査を至急行ってほしい、と。その日の午後、医院が経営するデイケアハウスに父を連れて見学する。11日から、父のデイケアを始めることになった。超スピードの介護の一歩である。
本格的な社会の高齢化はこれからだ。介護保険の財政危機に、行政はブレーキを踏み始めている、一方で当事者の行政への依存意識はますます高まっている。現にデイケア施設では健康そのものではないかと思われる人も見受けた。これから10年、団塊世代の介護が本格化してくる。想像したくはないが、寒々とした光景が眼に浮かぶ。
両親に歌う子守唄
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