韓国映画の強さが際立ってきている。歴史の現実に、こんな解決方法もあったのでは、と切り込む鋭さだ。1997年11月、アジア通貨危機が韓国に襲いかかる。為替の暴騰と株の暴落は、企業に致命的な打撃を与え、街には失業者があふれ、自殺者が急増した。韓国はIMF(国際通貨基金)に200億ドルの緊急融資を申し出、これをテコに切り抜けようとする。与えられた時間は7日間。ためらっていては犠牲者が山となす。韓国政府とIMFでどんな交渉が行われたのか。結論は経済主権どころか、予算から租税まであらゆる国家権限をIMFに委ねる屈辱的なもので、再びの占領であった。この時、非公開だがIMF対策チームがあったといわれている。「国家が破産する日」のシナリオを描いたオム・ソンミンはこのチームに自分の思いを重ねた。韓国がこの悲劇的な歴史から、「ひょっとしてのもし」を学ぼうとしている。芸術文化を育てていこうとする韓国の意図が実を結びつつある。名古屋トリエンナーレ「表現の不自由展・その後」でみる日本の対応、その彼我の差は大きい。
映画は対策チームを率いてIMFに異を唱える韓国銀行通貨対策班長の女性、IMFに委ねて自らの野心を隠さない財政局次官、この機に為替と株の暴落を見越して勝負に出て成功する金融コンサルタント、百貨店から食器の大量注文を受け、その手形が不渡りとなって破産する工場経営者が織りなしていく。圧巻はIMF専務理事の冷徹な手法。金泳三大統領の退陣が確定的な中で、次期大統領選の出馬予定者にも屈辱的な諸条件を呑ませてしまう。この専務理事に同行して、米国の財務次官が同じホテルに同宿し、米企業有利な条件を繰り出し、自国利益をハゲタカのようにむしり取る。軍産複合体の凄まじさを暴き出している。
さて、この最悪期に大統領になったのが金大中。意に反しながらもIMFを受け入れ、急激な産業構造の転換は貧富の格差の増大などを招くしかなかった。塗炭の苦しみを受け入れ、また国民が政府に金(きん)を差し出し、政府はそれを元手にドルを買って、借金を少しでも返そうとした。ここまでやるかとIMFを驚かせ、ようやく01年にIMFの管理下から抜け出すことができた。一方で金大中は文化大統領と称して文化産業政策を推進していった。平田オリザにいわせると、韓国には映画、演劇学部を持つ大学は100近くあり、人口比でいえば日本の20倍で、この層の厚さが韓流ドラマや韓国映画の隆盛を支えている。文化観光体育部省の予算はGNP比で日本の約10倍で、近年ではフランスを抜いて、世界一の文化大国といえるという。
そして、「ひょっとしてのもし」である。韓国銀行通貨対策班長の女性はIMFの欺瞞を指摘し、これを国民に明らかにして、IMFに頼らない再生策を作成し、記者会見まで漕ぎつける。しかしその翌日のマスコミは全く報じなかった。米国の意向をはね返すことに怯える政府、マスコミの構図だが、これを映画に仕立てあげ、別の選択肢を次の機会には考えようと訴えている。同じ誤りを繰り返さないという、大きな歴史的視点に立っている韓国だ。コロナ禍でも、彼我の差は歴然としてきている。
6月22日、新装なった富山総曲輪通りのほとり座(旧総曲輪フォルツア)に出向いた。豪華な椅子は50万円相当という話だが、どれだけ足を延ばしても前の席に届かない。その日は90席あるのだが、4席埋めただけだった。高齢者割引で1300円。これに自弁の駐車料金が加わる。映画を見終えて、ゆっくりコーヒーとはいかない。日本の映画産業はどうなるのだろうか。
もう一つ。作家の真山仁が「次に破綻するのは、我々の国かも知れない」と映画のパンフで警告している。彼の「オペレーションZ」はそんな危惧を描いている。ぜひ、参考にしてほしい。