「新・韓国現代史」

 日韓の雲行きが俄然険しくなってきた。7月末に富山で予定していた韓日青少年平和交流が中止になり、準備していた高校生2人のホームステイがなくなった。光州市が自らの予算で実施しているもので、今年は派遣できないと急遽決定した。双方の世論は抜き差しならぬところに行きつくのだろうか。

 歴史認識という前に、もう一度おさらいをしておこうと「新・韓国現代史」(岩波新書)を取り出した。著者は50年東京生まれの在日2世、文京洙(ムン・ギョンス)立命館大教授で、戦後の日韓を通史として辿るには格好のテキスト。双方の亀裂は65年の日韓基本条約交渉に象徴される。14年間費やしての妥協だが、カネだけのやり取りで終わった。韓国の補償および請求権について「完全かつ最終的に解決した」とあるが、ありていにいえば「もう出せないよ。これが手切り金であとはもう払えない、その証文を書いてくれ」というもの。日韓併合は双方合意したもので、植民地支配ではなく、賠償とか請求とかいわれる筋合いではない。あくまでも経済協力というのが、当時の椎名外務大臣の国会答弁だ。詭弁のような言い逃れが今に続いている。

 当時の時代背景の確認だが、やはり35年間の日本支配が色濃く残る。日本敗戦が解放であるはずが、ソ連参戦により厳しい冷戦対決が持ち込まれ、38度線での分断が固定化、南の韓国は反共親米でしか生き残れないとなる。北の暴力的な土地改革で、80万人に及ぶ北の人々は南へ逃れ、北への憎しみが反共攻撃の先頭に立つこと。日本支配に与していた層も息を吹き返し、李承晩政権下では7万人が再登用された。南での左右対立は激烈を極め、単独選挙をめぐって済州島4.3事件での凄惨な殺りくへとつながっていく。そして、朝鮮戦争の勃発だ。同じ民族がこれほど殺し合わねばならないのかという悲惨が半島全土を覆い、焦土と化した。死者は双方で300万人、北支援で参戦した中国軍100万人が定説となっている。この間の未曽有の虐殺・テロは、消し難いトラウマとして人々の心に刻み込まれた。李承晩政権はそんな対立を利用して独裁を強めるが、時代遅れの対応で人々は貧困に苦しむしかなかった。この状況で、軍事クーデターで朴正熙政権が登場する。日韓基本条約の交渉相手だ。満州軍に籍を置いた経験のある朴は日本の戦後復興をよく見ていた。冷戦下での米の援助と朝鮮戦争の特需だが、同じシナリオを朴も描いた。日米の資金援助に加えて、ベトナム戦争特需がその弾みとなっていく。もちろんベトナムでは血も流し、その残忍さは米軍以上に恐れられた。60年安保で軍事協力が日本に期待できない中、韓国の軍事的な貢献は不可欠と判断した米は基本条約合意を強力に後押し、理屈抜きで日韓の利害が一致させられた。こうして漢江(ハンガン)の奇跡が生まれ、韓国の高度成長をけん引した。その朴が暗殺され、民主化の動きも兆したが、全斗煥がやはり軍事クーデターでひねりつぶし、光州事件を引き起こす。その後の政権もこの間で揺れ動いてきた。それは市民が鍛えられてきたということでもある。

 そしてもうひとつ、心に刻んでおかなければならない。45年以来、軍事独裁政権に抑え込まれてきた民主化の動きは16年末の「ろうそく革命」で実を結び、文在寅政権につなげた。何しろ200万人参加したデモを、周辺ビルのトイレを開放するように頼み、統制したのである。市民自らが参加し、市民が権力を監視しながら、市民のための政治を実現しようと踏み出したといっていい。65年のままにまったく進化していない日本。この彼我の差である。

 アベ政権が無礼な、と発した輸出規制措置だが、この韓国が受け入れるだろうか。すべてを投げうっても立ち向かってくるだろう。日本の圧力に「屈した」と見られれば、いかなる政権も、韓国国民から見放されることは間違いない。

 

 

 

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