風邪もまたよし

風邪をひいてしまった。26日起き掛けに、鼻にその兆しを感じたが、予定していた東京行きを実行した。ティッシュを鼻に詰め込んでの強行である。如何せん跳ね返すだけの体力がなかったということか。東京の乾き切った空気に敗北してしまった。帰途の車中は駅弁を食する食欲もなく、ひたすら眼を瞑るしかなかった。それから1週間、上唇に熱でやられた瘡蓋が3ヶ所も残っている。寝込むほどではないが、鏡で見ると精彩を欠くこと甚だしい。集中力がなく、すべてにやる気がしない。活字もダメ、ラジオも意外にエネルギーを使うようでダメで、期せずして外界メディアから遮断状態となった。とにかく蒲団に入ることにつとめ、自らの乏しい想念で遊ぶしかなかったのである。
 このだるさの延長に死があるのだろう。さすれば選別を急がなければならない。欲望の削ぎ落としである。マズローの欲求の逆ピラミッドということになる。ひとつの欲求が満たされて、次に欲求レベルにのぼっていくというのはこれまでの人生。これからは、満たされなくて、くだっていくのだ。そんな想いがめぐり出したのである。
 基本的なもののうち、物欲、名誉欲はもう枠外である。食欲は量ではなく、一汁三菜で十分としよう。いい米と味噌は揃っているし、納豆でいい。加えて酒もいい日本酒とワイン少々でよしとする。睡眠欲も10年以上は使っているこの蒲団を春に新調すれば、ほどよく満たされることだろう。
 さて問題は色欲である。微かにうごめいてはいるようだが、ほとばしるほどではない。そういえば瀬戸内寂聴が「男を断つ」と得度したのは51歳。それにならえば、65歳にして断つといっても早いわけではない。断つというのは、欲望があるからいえることで、無ければそうはいえない。要は宣言するほどのことか、ということになる。寂聴は広く宣言するしかなかった。井上光晴との不倫関係を絶たなければならないという切羽詰った事情があったのだ。
 そういえば京都・寂庵を借り切って、法話を聞いたことがある。魚津でスタートさせた女性の会で、150人を一同に寂庵にいれなければならなかった。この難問を何とか解決したのである。瀬戸内が学生結婚して、夫の任地であった北京に赴いた。戦前のことである。その北京時代に夫と机を並べていた同僚が魚津出身であった。その子息がまだ交流を持っておられることを聞き、何とかお願いして実現したのである。その日の寂聴のサービス振りはすごかった。源氏物語が出版されたばかりで、求めたその1巻にひとりひとりサインをし、記念撮影までするのである。延々と続くが気にする素振りもみせない。色欲は絶ったが、別のものは補って余るほどなのではと訝った。その日の宿泊は俵屋という奮発で、いい思い出である。
 横路に話はそれたが、断つ宣言はせず、秘かに己のうちだけに留めることにする。誰かに求められているわけでもなく、無害にして空疎なること甚だしい。お前勝手にするならしろ、知ったことではないということだ。性なる情緒はほのかにまとっている方が楽しいという結論である。豹変して飛びかかっていく衝動が残っていれば、またその時であろう。
 というわけで、無為な1週間であったが、それなりのものであった。いつも思うことだが、これがシベリア抑留中の風邪であれば、一発肺炎となり、死に直結したことは間違いない。大袈裟ではなく、湯たんぽで守られた命であったともいえる。
 どうも、貝原益軒の養生訓に近い結論となってしまった。まだ長生きしたいのかもしれない。とんでもない保守主義者になったものよ。「美しい心はたくましい身体に辛くも支えられるその日がいつかは来る・・」。若者達よ、身体を鍛えておくのだぞ!頭の変調はまだ続いているらしい。

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