棺一基

情景がすぐに浮かぶ。俳句の最も大事なポイントである。暗い奥底におぼろな光を浴びて浮かんで見えるのは、ぽつんと置かれた棺。その棺に向かって歩むしかない死刑囚。その彼が命を削るように言葉を紡ぎだす。かすれた声で、「棺一基四顧茫々と霞みけり」。もう一度自分で声に出して読んでほしい。「かんいっき しこぼうぼうと かすみけり」。
 「棺一基 大道寺将司全句集」(太田出版刊)。この4月に刊行された。遅きに失した感もあるがアマゾンへの発注は、なぜか避けたかった。新宿・紀伊國屋本店でようやく手にしたのだが、数句読み進むうちに何かに打たれたような衝撃が走った。近くの喫茶店に飛び込み、突き刺さる言葉に打ちのめされ、今はノートに書き写している。こんなことは初めてである。
 大道寺将司は、48年釧路生まれの64歳。東アジア反日武装戦線“狼”のメンバーで、74年三菱重工業本社ビル爆破事件により75年に逮捕され、79年政治的活動家としては戦後初の死刑判決を受けた。「面壁も二十二年の彼岸かな」と詠むが獄中生活は37年に及ぶ。2年前から多発性骨髄腫を病み、獄中で闘病生活をおくっている。
 出版は辺見庸の勧めだ。序文にいう。小菅の東京拘置所に見舞った時、もともと痩身の男が骨と皮だけになって、背骨もくの字になっていた。泡を食い、もがくようにしてなにかを言おうととした。で、口をついて出たのが「書け」であった。辛かろうけれども、作句をつづけてほしい。医者や薬はもちろん大事だが、最後は言葉にしか救われない。
 「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」。三菱重工ビル爆破では8名を殺め、多くの重軽傷者を生んだ。東アジア反日武装戦線はこの爆破の前に、東京と埼玉を結ぶ荒川鉄橋で御召列車を爆破する計画を実行寸前で中止していた。もやもやした挫折の思いの直後に、韓国での朴大統領狙撃事件が起こる。逮捕されたのが、在日の文世光であったことが追い討ちをかけた。在日のひとりの若者が決起しているのに、われわれの反日闘争とは何なのか、という問いである。すぐに、三菱重工が標的にすべしとなる。兵器製造のトップ企業であり、ベトナム戦争では米軍の下請けとなり、戦前はアジア侵略で収奪の限りを尽くした。当初、予告をして避難させる計画であったがうまく機能しなかった。加えて、予測をはるかに超える爆弾の威力である。ことの重大さに茫然自失の中で、犯行声明は謝罪するものから居直りへと変更されてしまった。戦争責任に頬かむりしたままの戦後の日本と大企業の責任を問おうとした稚拙な若者の軽挙妄動が、無辜の人びとを殺めた。テロの大きな矛盾である。
 大道寺俳句はこの事実に向き合う。その向き合い方である。自らの犯行で殺めた被害者との<絶対的な関係性>においてしか、自分は存在してはいけない。死者の無念を、家族の怒りや憎しみを前にどうして句を作るのか、そんな不可能な問いに向き合う。それでも、だからこそ、句をつくるしかない。言葉にしか救われない、とはこのことを指す。
 31文字の短歌では情に流されやすく、5・7・5での情を断ち切った俳句にこそ伝えられるものがあり、伝えられる、読まれるを意図せずに詠んでいるところに凄さがある。
 「生かされて四十九年の薄暑かな」。「独房の点景とせむ柿一個」。「夏深し魂消る声の残りけり」。「己が身を虫干しに出す死囚かな」。
 辺見庸が跋文に記す。獄外の私たちは、たくさんのことを忘れている。日々記憶をかなぐり捨てている。「私たちは、摂取と排泄を行う、いわばミミズのような管である」とケヴァン・リンチはいったけれど、ミミズ化した私たちは、記憶をも、日々、大量に排泄しているといっていいかもしれない。
 ああ、わが人生茫々として、酒を呑むしかなく、ますます記憶を失うばかりだ。

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