源氏物語に欠落している巻がある。「輝く日の宮」と呼ばれる幻の一帖。紫式部を世に出したのは、平安期の権力の頂上を極めた藤原道長。式部の才能と道長の才能を見抜く眼、それもあるだろうが、彼女に貴重な紙を提供し続けられたからこそ、といってもいい。その頃の紙はそれこそ貴重品、それをふんだんに使えたのが道長くらい。何とその時代の紙消費量の4分の1を源氏物語に費やされたという。つまり道長がいなければ源氏物語は存在しなかった。その道長が式部といい仲となり、寝物語に語り合う。プロヂュースが道長、作が式部というところ。源氏物語を通読していないとつらいところもあるが、そんな大胆な仮説のもとに小説が展開する。
丸谷才一、久々の書き下ろし「輝く日の宮」。丸谷の才能が縦横無尽に走り回り、いたる所に息づいている。導入が主人公・杉安佐子の小説から入る。小説の中に小説が、戯曲が、そして文学史さながらに。例えば「奥の細道」は義経500回忌を祀りたくて芭蕉が東北へ旅立ったとかが、日本文学研究者・安佐子を通して語られる。
そして核心の「輝く日の宮」は、雇用主であり、性的パートナーであり、話題の提供者であり、何よりも原稿用紙の提供者である道長が優れて批評家であって、長い思案の末に式部に断らずに削除させた。それは源氏54帖の最初が「桐壺」、次が「帚木」。その間にあったという説に仕立て上げてある。なぜか。省く、同じ繰り返しを嫌う、想像力を掻き立てる余韻。これこそが源氏の面白さの真骨頂たらしめたといわせたいのである。新進の杉安佐子に、源氏の権威を任じる大河原篤子が陳腐で論証できない空論といじめたてる筋立てになっている。この小説のクライマックスでもある。
安佐子の恋愛遍歴もちりばめられている。これは丸谷の女性観か、結婚観か。一度結婚に失敗させて、その後妻子ある教授なるものとくっつけさせるが、金銭観で別れさせ、次なる男・長良豊とはヨーロッパ旅行中に粋な出会いをさせ、安佐子にこれっきりといわせる。しかし日本に戻ってしばらくして縒りを戻す。独身主義の長良が社長に抜擢されるが、一年後に妻帯するという条件付き。安佐子は社長夫人をわずらわしいと考えて、一応断る。再考してくれという長良。さて、どうなるか。時間を限られている長良はやはり次なる保険をかける。安佐子の教え子が長良と見合いをする。最初はもちろん知る由もない。しかし話に源氏がよく出てくるので、教え子は察する。にもかかわらず、ふたりはその日にホテルへ。後日、安佐子に教え子がそんなことを包み隠さずに話をする。結末はわからない。どうでもいいことだと考えるのが丸谷才一なのだ。源氏物語自体がそんな話ばかりなのでる。
丸谷才一、1925年山形県生まれ。同じ山形で9歳年下が井上ひさし。この二人が「小説はやっぱり素晴らしい」と対談している。小説現代8月号。この安佐子を大竹しのぶあたりが演じさせたら最高、とひさし。丸谷がしみじみ語る。小説家の仕事というのは、無人島から自分の持ってきたワインのビンに手紙を入れて流すようなもの。100本ぐらい流すと、誰か一本ぐらいは拾って読んでくれる、そんなものだ。実際、丸谷の「笹まくら」がほとんど反響もなく、再版にもならなかったのが、何十年もたって村上春樹がこういう書き方も日本で可能なんだと励まされたという。
そして最後に、丸谷才一が小説を書く時にどれほど調査をするか。気の遠くなるほどに調べ尽くす。井上ひさしも然り。
ところが7月24日の朝日新聞に、「源氏物語は仏教説話が種本という新説が」という見出し。駒沢短大の石井公成教授が唐時代の仏教百科事典「法苑珠林」の「王範妾」によく似た話が出ている、と。はてさて、丸谷仮説との論争が始まるのであろうか。
三男が合宿を終えて帰省している。うれしいような、面倒くさいような、ともかく諸手を挙げて大賛成というわけではない。お盆を待たずに北海道径由で東京へ。この4か月で一番変わったのはファッション。ハットを目深にしてノースリーブにはたまげてしまった。