わが体内にも刺客が潜んでいた。発見したのが9月6日。7月6日の人間ドックで便に潜血反応が出たのである。いつもであれば、何かの間違いとやり過ごすのだが、今回はやってみるか、と内視鏡検査を承諾した。中学同期で集まる会があり、その席上男子9人中4人が、「俺はがん患者だ」とカミングアウトしたことが影響している。加齢こそが、がんの主因なのだ。そんなこともあり、怖いというより、がん告白をホッとして聞いている自分が嫌になったのである。
主治医の推薦で、内視鏡操作の名手と評判の舟木淳医師のいる済生会富山病院に出向いた。くっきりとした液晶画面を患者である自分も見ることが出来る。ピンク色に輝くきれいな大腸内画像が続くはずだと思い込んでいた。ところが舟木医師の操作の手が止まった。赤く腫れぼったい突起物が行く手を阻んでいる。「大きいですね」の声に「そうですね」と思わず相槌を打った。検査が終わるや否や、23ミリのポリープをスケッチし、無雑作に「早期腸癌の可能性あり」と用紙に書き込むではないか。10ミリの大きさで癌化率7~8%、この大きさですと可能性は高いですね。早めに切りましょう。9月27日午後2時半でどうでしょう、となった。こちらから、口を差し挟む余地なしに決まった。まるで他人事である。当日家族の方に付き添ってほしいのですが、と聞く看護師に、「誰もいません。すべてひとりで引き受けます」と切り口上に。10年前、新潟県立がんセンターで「医療の敗北です」と、亡妻のがん告知を受けたことが脳裏をかすめた。
さて、当日である。入院の可能性もあり、その用意もして指定の30分前に乗り込んだ。果し合いにのぞむ心境である。ところがなかなか呼び出しがかからない。呼び出されて手術衣に着替えて電気マッサージ椅子に座るも順番がやってこない。まるで佐々木小次郎である。約2時間送れてようやくスタンバイだ。ここからが早い。電気メスのアースなるものを胸に張って待つほどもなく、内視鏡がスルスルと滑り込み、狙いを定める。クリップでポリープの茎の部分を留めるや否や、あっという間に切除されてしまった。「病理検査を待たねばならないが、悪性の確率は1~2%です」。「そうであれば運が悪いとあきらめます。ありがとうございました」。時計を見ると、20分も要していない。帰宅されてもいいというのを、家に帰っても仕方がないので個室を頼み、入院することにした。高校2年の盲腸以来の入院で、ひそかに楽しみにしていたのである。出血の危険性があるから、夕食はなく、点滴をするという。夜の8時過ぎに舟木医師が、どうですかと訪ねてくれた。どういうわけか話が医療全般に及び、小1時間話すことになった。医療こそ大きな課題なのだ。
彼は43歳、最も油が乗り切っている年代だ。年間2000人以上の腸疾患を診る。右手が腱鞘炎になっている。右手を操って見せてくれたが、生来器用なのであろう。院長はそんな彼に期待し、最新機器を投入してくれた。そんな中から、高性能のカメラと鮮明な画像を駆使して、ポリープ表面を拡大観察し、その表面模様から良悪性を判断する独自の手法を見出した。小生の場合も6日の検査で、内視鏡で切除可能と判断した。つまり腸壁の深部にまでがんが及んでいないと診たのである。悩みは医師としてもっと幅広いキャリアアップを図りたいのに、このままでいいのかということ。そんなこともあり、近々富山逓信病院に籍を移す。病院を変えて、違った環境で経験を積むのもプラスになるはずだという。病院は院長の強いリーダーシップの下に運営されており、院長次第といっても過言ではない。特徴を出してどう患者を呼び込むか、となっているのだ。
病院経営も大きな転機に立っていることは間違いない。医師、看護師など多くの職員の連携が必要という意味では労働集約型であり、患者の要求を満たす施設などを整備するという意味では資本集約型でもある。そして、これらを診療報酬でどう賄うか、高度な経営管理が求められている。この論は別に譲ろう。
何はともあれ、刺客を返り討ちにした。居酒屋開業もこのために1ヶ月延ばしてきたが、11月に開業を果たしたい。おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒(江国滋)
返り討ち
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