書店の週刊誌売り場。「女性セブン」12月23日号の発売が4日遅れるとあった。はて、どうしたんだろうと思っていたが、ようやく真相がわかった。皇室関連記事の誤植である。見出しの「秋篠宮さま『皇大子』さまへの苦言」と、皇太子が皇「大」子となっていた。印刷所のミスらしい。翌日発売の見本誌を手にした担当者はがくがく震えだし、その報告を受けた上司は腰を抜かし、経営者は顔面蒼白になった。これは想像だが、小学館が大騒ぎだったことは間違いない。経営トップは損得考えず、ほぼ即座に刷り直しの決定をした。トップの頭をよぎったのは、「不敬」だと右翼の街宣車が押し寄せてくる光景。神田界隈は騒然となり、どこのビルも仕事にならない。自宅まで押し寄せてくるのは間違いない。発行部数55万部のうち約30万部が既に出荷されていた。残りも印刷を終え、製本を行っている最中だったという。通常の誤植であれば次号訂正で済ますケース。しかし皇室の場合、こうはならない。「女性自身」が昭和天皇闘病中の時、写真を裏焼きにして即座に全部数回収を行った。皇室に関する記事は、どんな単純な、小さなミスであろうと、刷り直しをした方が賢明と判断する。日本のメディア界のひずみを象徴する事件であるのだが、当分この異様さがなくなることはないだろう。勿論、これは出版界に限らない。「お詫び 前号の皇大子は皇太子の誤り。訂正します」。これで終わる時が、日本に民主主義がはじめて根付いたといえる時。それはいつになるのか。噂の真相の休刊が痛い。
それに引き換え、わが「ゆずりは」はどうだ。誤字脱字は日常茶飯事で、もっと悪いのはウロ覚え、勘違いに思い込み、換骨奪胎。訂正は隠れて、素知らぬ顔でやっており、お詫びすることもない。いつの間にか、文意そのものがすり替わっている事さえある。読者のみなさん。どうかそれを承知で、眉唾で読んでいただきたい。
さて、定率減税撤廃増税路線への転換はどうか。伊東光晴京都大学名誉教授は「失われた20年を検証する」で、こう断じている。うろたえ、浮き足立って、逆のことばかりを続けているのではないか、と。例えばいままでの減税策。減税で消費に向かうのはキリギリスのアメリカ人、アリの日本人は将来の不安におびえ、減税分をみんな貯蓄に回しただけではないか。実際自己防衛で貯蓄率は上がっている。消費需要とはならなかった。それでは金利政策はどうか。ゼロ金利は家計の利子所得が大きく減らしただけ。1993年の差額がプラス約21兆円だったが、02年には何とマイナス6兆円となり、支払い利子の方が上回った。これがまた所得減、リストラに続いて個人消費の停滞を招いた。一方企業はどうか。リストラで大幅収益増になって余裕が生まれた資金は、銀行に返済しただけで、金利ゼロでも投資にはいかなかった。収益増が見込めないのに投資する経営者はいない。銀行も、ほしいのは預金ではなく融資先だと悲鳴をあげるだけだ。日本銀行も、量的緩和策とかでお金をダブダブにしているだけで、金利ゼロでは「ひもは引っ張ることはできる。しかしそれで押すことはできない」となす術がない。また膨大な赤字国債発行は有効需要を何倍にも引き出すものではなく、そのままの金額が市場に出ただけとなっている。伊東はいう。90年代の不況に対する利子率の引き下げと減税は誤りだった。投資を刺激せず、消費支出増より貯蓄増に向かい、財政赤字拡大という取り返しのつかない後遺症を生じさせた。ゼロ金利政策の持続は年金基金の運用を困難にし、日本的福祉制度の根幹を揺るがせ、バブルの整理を遅らせる結果になってしまった。もう回生の一打などない、と。
伊東の真意は竹中批判にあるようだ。竹中の背後にある小宮隆太郎教授人脈への批判でもある。老老対決の図式だが、伊東に軍配を挙げたい。マクロ経済政策はいつ適切な政策をうつかという英断とともに、出来ないことを出来ないと見抜く英知が必要。そして、国民に対する説得力だ。我慢するのもいい加減にしたい。
ところで「草の乱」。ビデオショップに並んだら、ぜひ見てほしい。
女性セブン
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