新聞もテレビもラジオも、匂いを伝えることはできない。被災地にはいった友人は、充満する特有の匂いに耐えられなくて、申し訳ありませんと頭を下げて、すぐに引き返してきた。軽はずみな正義感を後悔し、立ち直れないでいる。それを聞いて、いわき・小名浜への慰問の旅は即座に断念した。老人の出る幕ではないらしい。
五感とは、見る、聴く、触る、味わう、嗅ぐを指すが、最後まで残る感覚は嗅覚だという説もある。慣れからの多少の麻痺はあるかもしれないが、異臭を嗅ぎ続けるというのはものすごいストレスに違いない。別の異臭といえば、不信任国会騒動と大阪府議会である。嫌な予感を感じさせる。
まず、君が代起立条例を成立させた大阪府議会だが、維新の会は単独過半数そのまま行使して問答無用に、既成政党すべての反対を押し切った。賛成57、反対48。橋下府知事の正体である。5月30日の最高裁での校長の職務命令を合憲とする初判断に便乗し、嵩にかかって押し通した。9月には懲戒免職含めた処分基準を定めるという。不起立の教諭の存在が、橋下には我慢がならない。どんな少数でも、わが意に染めあげたいのである。処分を恐れる事なかれ教諭たちは、子ども達にはどう映るだろうか。国や郷土を無理矢理「愛させる」政治、いや教育の薄っぺらさに思いがいたらない。
大分前になるが、新宿御苑での園遊会のワンシーンを思い出す。将棋指しの米長邦雄が「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させるのが私の仕事です」と、へつらうように発言した際に、天皇陛下は「やはり強制になるということではないことが望ましいですね」と応えたことを忘れることはできない。
さて、不信任国会だが、奇妙に符丁が合うという見方がある。浜岡原発の原子炉停止要請と電力会社の発送電分離の検討発言に合わせて、にわかに菅降ろしの大合唱になったことである。自民、公明、小沢一郎などの既得権益者たちが、この際だ、菅にすべてを背負わせて終幕させ、新しい奴には“原発このまま”の踏み絵を踏ませて選ぼうという筋書きである。経団連の米倉会長も、もちろん九電力もそう。原発作業を請負にしろと求めた東電労組を中心とする連合も間違いない。6月だ、8月だ、来年1月だと馬鹿げた論評の影でほくそ笑んでいる勢力がいるということだ。朝日の若宮主筆は「永田町にとどまらない古くて大きな権力構造の巻き返しも感じとれた」(4日付け朝刊)とさりげなく書いているが、もっと鋭く踏み込むべきだと思う。ウイキリークスが待たれるというものだ。
菅の依怙地な頑張りは、このことを察知した無念さの裏返しと見ればよく理解できる。虎の尾を踏んだのである。これこそ神の命じた最後の役割と思うことだ。若い世代にバトンタッチしたいというが、後継選びに影響力を発揮することはかなわないと思うが、三木武夫ばりのあとひと踏ん張りを期待したい。
最も警戒したいのは、不信任国会と大阪府議会、この二つの異臭が交じり合っていくことである。すでに原口あたりは、維新の会との結合に言及しているのだが、衆参のねじれを解消するには、目先の変わった新しい神輿をかついだ連立構想だと、東京、大阪、名古屋、神奈川のメガポリスと連動したうごめきがあるのは間違いない。
反原発活動を続ける俳優の山本太郎が事務所を辞めた。テレビなどへの出演が命といえる芸能プロダクションに圧力がかかるのを恐れて、自ら身を引いたということらしい。小さな動きだが、異臭ふんぷんである。
大地震と大津波、そして原発メルトダウンが、日本を右旋回させる。そんな馬鹿馬鹿しい話はない。日本だけが、またぞろ怖い、怖いと同じ愚を繰り返すのだろうか。ドイツはきちんと学んでいることを忘れてはならない。
異臭
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