いい出しっぺが汗をかくのがべ平連流儀。そう見栄を切った講演会を9月30日開催した。テーマは関東大震災100年記念「朝鮮人虐殺を読み解く」で、講師が新井勝紘・元専修大学教授。朝日新聞の書評を見たのがきっかけだが、講演会企画はとんとん拍子に進んだ。富山市の会場サンフォルテに84席を用意し、66人の参加を得た。参加費は1000円。赤字を嫌う老いたるべ平連は、急遽カンパ箱をさりげなく受付に置いた。何とここに21,000円が投げ込まれ、辛うじて黒字をキープすることになった。老人は淡泊ではなく、意外としぶとい。身銭を切るという切迫感がそうさせる。大阪万博も見習ってほしいものだ。
さて、講師で招いた新井勝紘の恩師は色川大吉。このブログに再三登場しているが、いま一度焦点をあてたい。2021年、享年96歳で亡くなっている。37歳で得た東京経済大学のポストを70歳定年まで勤め上げた。本人は東大からもお呼びがかかったが、東大解体を叫んだ手前、引き受けるわけにはいかないだろうと周囲に語る。もし転じていたら、上野千鶴子と文字通りおしどり東大教授になっていたかもしれない。東経大の処遇に満足していて、大学の退職金で北杜市に山荘を持ち、そこで23歳年下の上野に看取られて逝った。
老いたるべ平連は色川史学に触れ、歴史を民衆から考察することを教えてもらった。特に秩父困民党の武装蜂起は眼からうろこだった。色川の書籍を数えたら12冊が書棚に並んでいた。そんな色川を通俗なスキャンダルで語りたくない。
色川はやっかいな性格の持ち主だ。屈折の原因は学徒出陣であり、入隊した土浦海軍航空隊でのリンチに近い暴力支配と飢餓体験だ。「追い詰められた人間はどれほど下劣になるか。インテリほど汚くなる」。友の死にも多く立ち会ってきた。戦後、共産党では民商で活躍するも六全協で離れ、一方で演劇にも首を突っ込み、早稲田小劇場の前身である自由舞台に参加している。どうも、人生を演じていくという感覚が身に着いたようだ。26歳で自死した北村透谷に注目する中で、多摩地区の自由民権運動の地下水脈を掘り起こしていくのだが、文学の視点も忘れることはなかった。歴史家という研究職に収まり切れないものを持て余す。家族観も然り。上野千鶴子という異才が目の前に現れると、ついふたりの世界を演じてしまう。現実の不確かさを知るゆえに、すべてが架空であれば、そこに遊んでしまえとなる。真面目な門下生・新井には、やはり違和感を覚えないではおれなかったようだ。
最近、わが同輩の会話もそれに近くなってきた。もう後がないのだから、思い立ったらやってしまおう。後悔する時間もないだろうというわけだ。
泉下にいる色川大吉、いや上野大吉はにやりと笑っているに違いない。80歳を前にして右往左往しても遅いのだ。人生を演じ切るという感覚は先天的なもの、凡人はやけどするだけ。瀬戸内寂聴もそうだが、「それがどうしたの」といい切れるかどうか。上野千鶴子も、きっとそういっているはずだ。