慌ただしく、刺激的な日々であった。それはホームステイの依頼から始まった。7月28~30日2泊3日、韓国・光州からの高校生2人を頼むというもので、そんな申し出を光州生まれは何が何でも引き受けざるを得ない。そして、事大主義で軽佻浮薄な性格がモロに発揮されることになった。
わが家といえば鰥夫暮らし20余年のうえ、エアコンがない。食事など含め困難を挙げれば切りはないが、植民地支配の特権享受を思えば何のこれしきである。取り敢えず座敷の障子張替えを行った。アイロンを紙の上から桟に押し当て、張り込んでいく。しわが目立つがまあまあの出来である。亡父が遺した光州関連の写真を見直していると、入善町で「かしはら旅館」を始めた亡き柏原常三さんの写真が目に入った。光州で林業試験場の技師をやっていて、亡父とは極めて親交が深かった。麻雀や囲碁が滅法強い勝負師で、引き揚げ後公務員では食っていけないと宿屋を開業、しぶとく生き残った。亡父は闇に活路を見出し、衣料品店開業に漕ぎつけた。無一物から抜け出していく度胸と才覚競争だが、うらやましくも思える。電話をすると現在も営業しており、これも何かの縁と28日、高校生2人と一緒に宿泊することにし、翌日黒部のYKK見学をセットにした。更に韓国を身近に感じておきたいと、7月5日「タクシー運転手」の最終上映に駆けつけた。ご存じ80年の光州暴動をテーマに、観客動員1300万人を超える大ヒット作である。民衆への無差別虐殺を映像にして世界に発信したいというドイツ人ジャーナリストを描いたものだが、光州の国内での差別的な位置づけと民衆の連帯感がストレートに響いた。もう1本「焼肉ドラゴン」も加わって、わが韓国モードは高まっていった。
そして、思いがけないうれしい逸話がもたらされた。ホームステイは日韓青少年平和交流団と称し、高校生20人と引率6名の構成で、富山と名古屋を巡る。富山での受け入れ団体が「不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する会」で、迂闊にも直前まで知らなかった。その責任者と話す中で、26年前に訴訟に打って出ようと決断したのは亡き水間直二さんの働きかけだという。わが親友の水間英光の父親である。戦後富山での社会党立ち上げに加わり、翁久允の主宰する「高志人」の編集に携わるなど、労働の汗とは縁遠い、人のいい好事家に見えていた。ところがその訴訟を支える活動費に充てようと、家を担保にとまで思い詰める激情があるとは、思ってもみなかった。心の内にわだかまっていた中国での戦争経験がそうさせたのではないか、という推察だが、息子にも戦争体験は話さなかった。つくづく小さく生きるのではない、という戒めを感じた。
「僕たちは南北の統一を信じています」。若き光州の高校生からこんな言葉を聞いて、心底うれしかった。朴大統領を退陣に追い込んだローソク革命に、こんな高校生が光州からソウルに駆けつけているのだ。この交流も光州の自治体予算で、9年前から続いている。韓国政府もそうだが、とにかく前を向いている。立ちはだかるのは想像を超える苦闘であるが、この若者たちの清々しい眼差しが支えてくれるだろう。
さて29日夕刻、3人でわが家に入ると、むせ返る熱さである。運転席の後ろで爆睡するふたりをみているので、これはダメだと判断。ホテルのツインルームを予約し、押し込んだ。それはホームステイではないだろうと厳しく批判されそうだが、熱中症を出したら、友好も吹っ飛んでしまう。
とんだドタバタ劇となったが、わが人生の凝縮したものが詰まっていたような気がする。来年は老人が光州を訪問することを、ふたりに約束させられた。
ホームステイ
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