面接というのではないが、選ぶ感覚で若者達と会っている。楽しいことの半面、責任みたいなものもあり、迫るようないい方は避けている。もう一度会いたいと、先方から連絡があればいいが、こちらからはアクションを起こさない。啐啄というか、両者の息がピタリと合うような時を辛抱強く待ちたい。「歴史には意志がある」という。これはという時に、これはという人間が出現しているということ。「その時歴史が動いた」ではないが、ものごとがうまく運ぶ時には、天の配剤のように絶妙な人間の組み合わせが、巧まずして生まれているのだ。小さなことでも、真剣に悩み、考え抜こうという時に、その<絶妙>が生まれるということを信じたい。といいつつ、「ま、いいか。しょうがない」とする“いい加減”派なのだが。
ちょっと紹介してみる。フリーターから自衛隊に応募し、潜水艦に4年間乗っていた29歳の男子。高校の先輩が陸上自衛隊にいて、遊んでいるのなら、自分を鍛えなおすのには最適な職場だと強く誘われて入隊した。適性で最も優秀なのが航空自衛隊に入り、海上自衛隊の潜水艦勤務がその次くらいにランクされる。海自に配属されたことが自信になっている。上官達のエリート意識は相当なものだった。中国海軍が東シナ海に積極的に出没している時と重なっていたこともあり、狭い空間の中での人間関係に神経が磨り減った。退官のきっかけは、祖父が介護を受けながら、孫の命を国に捧げることに悩んでいたこと。人材派遣会社の営業として働いているが、製造業への派遣が激減していることもあり、別の新事業に活路を見出そうと、福祉に注目している。
いまひとり。特養で介護士として働く25歳男子。この5月に同じ介護職の女性と結婚を予定している。顔見知りということもあり、イタ飯をご馳走することにしていた。直前に電話が入り、同僚3人もぜひ話を聞きたいといっているが同席していいかという。断るわけにもいかず同意をすると、31歳の上司という男子、20歳前後の女子2人、どういうわけか乳飲み子もはいっていた。ワインがいい加減にはいったと思いきや、「おとうさん」と呼び名が変わり、イタリヤ人シェフが料理を運んでくると、チャオ!とはしゃぎ出す。こんな職場環境なら、介在する余地もないなと思えてきたが、そんな矢先に女の子が25歳を指差して、「この人、仕事になると人間が変わるんです」といい出す。真面目で照れ性が、そんな自分の使い分けをしているのだなと悟った。本当に聞き出したかったのは、男子介護士の生活設計である。50歳前後の勤続10年にしても、基本給15万+夜勤含めた諸手当5万、賞与があって年収300万が限度。さりとて、男子だからと上乗せすることもできない。案としては、複数職をこなすことを考えていた。例えば、HPの更新や、ウェブによる管理を在宅や勤務時間外などでやって、何とか他業種並みにする方法もあるなと思っていた。次回に機会があれば、そんなホンネを話そうと考えて、更にワインを追加することにした。夜勤手当が3000円、職場は一定数の辞職を想定して余裕のある人員を配置しているという。聞き出したのはそんな程度だが、そんなところで十分と思っている。
さて、老人の思いである。先日後輩から、この老人が携わって採用したヒトについて批判を受けた。情に流され易いこともあり、母子家庭とか、倒産経験とかいわれると、そこに感情がいってしまい、その子の才能とか性格とかは、どうでもよくなる。仕事を続けていくうちに何とかなるだろうと思ってしまうのだ。1~2年は緊張してやってくれるが、すぐに地が出てしまうということをいいたかったらしい。基本的に、ヒトは選べないと思っている。人間にそれほどの差はない、というのが基本認識。わが愚息達を想像すると、そう思わないわけにはいかない。さりながら、迷ってもいる。この1年が勝負時だ、否応がない。どんな運命的な出会いが待っているのやら、歴史の意志なるものを祈るばかりだ。
ヒトを選ぶ
-
-
-
-
B! -