父親の認知症と、週3回格闘している。明治44年生まれの95歳。グループホームに夫婦ではいっている。昨年4月26日狭心症で倒れ、心臓マッサージで蘇り、最新のカテーテルで正常を保っている。ことし6月3日には、肺炎の危機を乗り越えた。こうした急性期の疾患毎に、認知症が加速度的に進む。口数も少なくなる。身の回りの介護は職員と姉任せだが、息子の出番というのは確実にある。衣類の汚れや、ひげの剃り忘れを姉は気にするが、こちらはまったく気にならない。それよりも明治の男の記憶が、どさっと消えていくのが怖い。男の対話というより、聞き出し。きょうはこの話で行こうと出かける。忘れさせてなるものか、という愚息の気概でもある。
樺太でのニシン漁、昭和10年の韓国移住、敗戦での引き揚げ、“かつぎや”から中古衣料の市開催、衣料品店の開店などなど、とりわけ“韓国の昭和”を何とか聞き出し、まとめたいと思っているが、難しいかもしれない。
口述の歴史をオーラル・ヒストリーと呼ぶらしい。御厨貴(みくりや・たかし)東大教授が「オーラルヒストリー~現代史のための口述筆記」(中公新書)を著わし、自らも戦後政治家や、ジャーナリストの聞き書きを行っている。中曽根康弘、渡辺恒雄など割と胡散臭い人選だ。自分でも書けるのになぜ聞き書きにしなければならないのか、まして真実を語るかどうか疑わしいものだ。
こんな疑念に上野千鶴子が応えてくれた。「myb」(みやびブックレット第16号 定価210円)。小さい本だが志は高く、編集センスがいい。ここで女史曰く。「オーラルヒストリーは、文字を残さない人々の、聞き取りによる歴史記録として、文書資料至上主義の講壇歴史学者に対抗して、民俗学者や民間史学者たちによって長年にわたって積み重ねられてきた。そういう人たちには、底辺の、貧しい労働者や庶民、男より女が多かった。いわば対象が権力や権威とは無縁であるばかりか、方法や歴史学の権威主義に挑戦する対抗的な性格をもったものであった」。ここまではいい。これから怒り爆発である。「にもかかわらず、その背景を一顧だにせず、文科省からン億円だかの助成をうけて巨大なプロジェクトを組織し、戦後政治家たちの聞き書きを行っているご用政治学者に、すっかり換骨奪胎されてしまった」。御厨批判は鋭い。
オーラルヒストリーは、「わたしのような者の人生など、お聞かせするほどの値打ちもございません」と渋る庶民を説き伏せ、忍耐強く相手から信頼を獲得して初めて成り立つものだ。「じゃぱゆきさん」「サンダカン八番娼館」などがそうで、底辺史や民衆史、女性史などと相性がいい、と続く。
ほんとうは親父とともに、韓国を歩いてみたかった。親戚が初めて渡韓した栄山浦(ヨンサンポ)。8年に設立された東洋拓殖株式会社が開発し、日本人地主が始めて誕生した町であり、その後東拓は朝鮮の土地収奪の尖兵となっていった。同じく祖父が住んでいたという木浦(モッポ)。日本領事館があり、未だに日本の影を色濃く残すという。そしてわが家族が10年住んだ光州(カンジュ)。看守から始まり、肥料会社に籍を置いた。無等山が左に見え、光州神社の前を通っての東町が住まいという。少なくとも、こんな話はわが息子達に語り継がれるわけがない。
自分史というのは、こうして庶民が食うためだけに、無意識に加害者になりながら、生きなければならなかった男の、小さな歴史の証人といえるものでなければならない。オーラルヒストリーは、書く術のないものの言葉を、これは残しておきたいと思うものが記録するものだ。歴史認識というのは、こんなことから考え始めるのがいいと思っている。
オーラル・ヒストリー
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