「連帯保証人にだけはなってはならない。保証人になるくらいなら、返さなくてもいいおカネをあげなさい」。親父の遺言だという人は多い。初めて聞いたのが、富山・清明堂書店の丸田社長だった。堅実経営の苦労人だけに妙に記憶に残っている。「小商いのすすめ」(ミシマ社)などを著わし、身の丈に合った路地裏の小商いを推奨した平川克美が会社を畳んだ。銀行やら政策金融公庫からの借金を、家を売り、定期預金などを解約して返済し、全財産を失った。起業からしばらくして、自己資金だけではやり繰りできず、銀行借り入れをするしかないと判断。経営陣の3人が保証人になろうと同意を求めた時、他の2人が標記の遺言をバツが悪そうに、それぞれ持ち出した。そんな弱腰でどうする、思わず「俺がやるよ」と啖呵を切ってしまった。事業は赤字が続き、会社を畳むしかない状況となって、一家3人アパート暮らしとなった。平川克美は5歳下だから、68歳。この歳にして貧乏くじを引いたことになる。加えて、肺がんの宣告を受け、手術で右肺3分の1も失う不幸も重なってしまった。
そんな頃合いを見計るようにミシマ社の三島社長が訪ねてきた。開口一番、三島は「破産論」を書きませんか、と切り出す。借金取りの上をいくようは話だ。さすがに即答するわけにはいかず難渋するが、結局は引き受けてしまう。書き上げたのが「21世紀の楕円幻想論」。いわば破産論の展開はこうである。
「小商いのすすめ」という本を書きながら、小商いの神髄がわかっていなかった。資本主義が行き着いたカネ万能の「いま・ここ」に生まれたことに何の責任もないことは明白だが、「いま・ここ」に責任を持つことが我々の責任ではないか。小商いの責任を持つことでしか、世の中は回っていかない。損な役回りだが、黒澤明の「七人の侍」、山本周五郎の「いのちぼうにふろう」のように、心意気で小商いを引き受けるしかない。その結果の貧乏くじである。その日暮らしのトホホであるが、間違ってはいなかった。
生まれてきたのも偶然なら、いまこうしているのも偶然。偶然に生まれて、偶然に成功したり失敗したりして、偶然に死んでいくのが人間。破産という現実も偶然の結果とすれば、何の責任もないはずだ。しかし、責任のないはずの人間がそれを引き受けていく。小商いとは、責任のないことに責任を取っていく生きざまといっていい。これこそが小商いの神髄であり、醍醐味だ。文句はあるまい。
この楕円幻想論も、ミシマ社の小商いと思えばいい。楕円幻想は花田清輝からの引用だが、人は真円の潔癖性にあこがれるが、2つの焦点を持つ楕円こそ、人間の再生ストーリーにふさわしい。楕円は楕円である限り、ラグビーボールのように制御できない。どっちつかずで、あいまいで、優柔不断なのだ。そんな人間観に立って小商いに挑むのである。フクシマの復興も、こんな小商いがどんどん生まれてこそ、始まるといっていい。税金という安全なカネでは復興はかなわない。
平川の遺言といっていいだろう。人は必ず病み、衰え、老い、死んで土に還る。でも、その可傷性・可死性ゆえに、生きている間だけ人は暖かい。無一物になって、この暖かさの持つ幸せが実感できた。小商いをやっていなければ、感じ取ることができなかっただろう。
さぁ諸君、老いたる身であっても、路地裏の資本主義を生きるしかないのだ。