「(靖国参拝を)やめなさいと言明しました」。中国・唐外相は日本語ではっきりといいきった。いってみれば、けんか腰の捨てぜりふ。脅しもきいている。のほほんとテレビを見ていて、一瞬息を呑んだ。迫力が違う。長時間この調子でやり込められ、恐らく論理的にいい返せない田中外相の当惑顔は映っていなかったが十分に想像できた。一方わが小泉首相は、この事態を受けても「二度と戦争を起こしてはならないという意を込めて哀悼の誠を示す」と同じ言葉を繰り返す。聞き捨てにならないのは「当然こうした事も想定してのもの」という確信犯的発言。仮にも一国の首相、隣のおじさんの依怙地、一言居士では済まされない。責任は取るという事だろう。なぜ首相は総裁選立候補以来、こう主張続けるのか。中曽根首相が1986年に参拝を取りやめた時の政府見解がある。「靖国公式参拝はA級戦犯に対して礼拝したのではないか、という批判を生み、過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれる恐れがある」というもの。まったくの学習効果ゼロか、それとも隠し球があるのか。さあ、純ちゃん、これを超える見識、見せてもらいたいものだ。外務省高官は、これで中止すれば強き声に屈した国という事になるから参拝はすべきだ、といい。自民党幹事長は「非礼だ。内政干渉も甚だしい」と声を荒げる。確かに、日本もなめられているなというナショナルな感情も頭をよぎったが、そんな層に向けての、いわばこれらは内弁慶発言。
小泉政権発足時の新閣僚への共同記者会見で、同じ記者、多分朝日新聞だろうが、靖国参拝はするかどうか、という同じ質問をしていたのを思い出した。読売は岡崎久彦外務省OBに、当初中国は吉田首相に始まる靖国公式参拝を容認していた事を挙げ特殊な政治的問題として、余計な事をいわず参拝すべき、といわせている。
韓国で中国で実際に住んでいる日本人たちは、実に肩身の狭い思いを強いられている。その人たちが胸を張って、わが国の首相はこう考えているといえるものを示してもらいたい。外務省高官も、山崎幹事長も然り。唐外相に非礼であった、申し訳なかったと謝ってもらえるように論理立てて話してもらいたい。
「やさしかった兄さんが 田舎の話を聞きたいと 桜の下で さぞかし待つだろう おっ母さん。あれが あれが九段坂 会ったら泣くでしょ 兄さんも」ご存じ島倉千代子の「東京だよ おっ母さん」。わがカラオケのおはこのひとつ。そして学生時代に九段会館には大変お世話になった。日給900円で2食付きのアルバイト。この2食が魅力だった。結婚式がある日は何とメロンまで食べられたのだ。
純ちゃんよ。意外と気が弱いとも、やさしいとも聞く。遺族会を食い物にしている輩ではなく、本当に戦争で息子を亡くしたおっ母さんをだましちゃいけないよ。構造改革も、根底に歴史に対する謙虚さ、人間に対する真摯さがなければ、絵に描いた餅に過ぎない。
きょうは参院選投票日。どんな審判が下るのであろうか。