1年遅れの読書である。気になっていながら、重過ぎるということで敬遠していたのだが、この際こそ、と手にした。震災、津波、原発情報から遠ざかりたい思いだったのだが、見事それを果たしてくれた。
「軍艦島」(作品社刊)。上・下巻と分厚い。韓水山(ハン・スサン)が15年の歳月をかけた大作である。著者の韓は46年生まれで、日帝支配から解放されたハングル世代と呼ばれる作家であることにも注目していた。同世代の韓国作家が日本をどう見ているのか、だ。作家・帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)の「三たびの海峡」と同じ歴史素材をテーマとしているので、日韓の違いも感じたかった。文芸評論家の川村湊が監訳していて、日本の読者には不要と思われる部分を省いている。何よりも、作品社がこの出版を引き受けた心意気こそ高く評価したい。
軍艦島とは、長崎県端島の別名であり、三菱鉱業端島炭鉱そのもので、海底炭鉱への入口となっている。明治初期には単なる岩礁といっていい無人島だったが、良質な石炭を出すことから、埋め立てを行い、最盛期には約5000人の関係者が住み着いていた。小さな島なので、香港を抜く世界一人口過密な島で、八幡製鉄にとって欠かすことの出来ない存在であった。特に中国戦線、太平洋戦争が拡大する中で、労働力の不足を補うために、朝鮮人、中国人労務者が当初は斡旋労務であったが、それでは追いつかず強制的な連行となった。韓国の若者が日本の無謀な戦争継続に根こそぎ動員されたのである。
この大河小説は、1943年の戦争末期から長崎に原爆が落とされるまでの日本に強制連行された過酷な韓国の人々の悲劇的な顛末を描いている。また視点は同じ民族でありながら親日派となって、日帝のお先棒を担ぎ、スパイ行為を始めとして強制連行の名簿作りからピンハネまで行なう同胞にも厳しい目を向けている。
日々の石炭掘りノルマ作業でいつ死ぬかもしれない命なら、軍艦島からの脱出に賭けるのも同じではないか、と誰もが思い詰める。断崖絶壁の島から潮流の厳しい流れに抗して泳ぎ着かねばならない。対岸に辿り着いても、どうかいくぐり、紛れ込んでいくか。成功の確率は極めて低い。失敗すれば見せしめとしての死に近い虐待が待っている。かくも残虐な行為ができる日本民族なのか、と我らに潜む冷血を思わないわけにはいかない。
その長崎に原爆が投下された後の阿鼻叫喚の地獄図絵の中で、それでも朝鮮人への差別が関東大震災後の虐殺とまでもいかなくても、繰り広げられたことも、わが民族愚かなりと思わせないではおかない。
日本の読者へ、として著者はこう書いている。軍艦島への取材を終えた日。部屋に広げられたのは、死、慟哭、呻き声、無念さと怒りに染められた「恨」の日々の資料。それらを見つめながら、私は流れる涙を止めることができませんでした。その涙の中で私は神に問うていました。なぜ私がこのような過酷な物語を書かねばならないのかと。その日、その夜、私は自分の心の声を聞いていました。私が書かなければ、誰が書くのかと。
そして彼はこの小説のために、自分の眼で日本を見、自分の身体で日本を感じたいと、4年間日本に暮らすことになる。その4年を経て「原爆で亡くなられた名もない朝鮮人のために、名もない日本人が」と刻まれた長崎平和公園の石碑を見て、ようやく「反日」と書いた少年時代の思いに別れを告げることが出来たという。
さて、この震災を思う時、大江健三郎が「ニューヨーカー」3月26日号に書いた「歴史は繰り返す」が的を得ている。広島・長崎、ビキニ環礁、核施設のそれぞれで被爆した人達の側から日本の現代史を捉えなおすことを提唱し、日本の歴史は新しい局面に突入した、と。
石原慎太郎の天罰発言の対局にあるのだが、この試練は軍艦島の「恨」の報いとして、現代史への責任も果たすことを求めているように思う。
軍艦島
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