「なぜ日本は原発を止められないのか?」

 この原稿を書いている最中に、グラグラと机が揺れ出した。意外と揺れが続く。ひょっとして、このまま地の底に引き込まれるのではないか。そんな恐怖が頭をかすめ、かがみ込んで机の椅子にしがみついた。1月1日午後4時10分、能登半島地震である。思いが乱れ、書き切れず、掲載をパスすることになった。

 地殻の奥深くにも時間があるのだ。いびつなエネルギーをため込み、はじき返すタイミングが、人間の営みに否応なく関わってくる。平家物語を題材にした木下順二の「子午線の祀り」が思い起こされる。一の谷合戦の勝敗を分けたのは潮の満ち引きで、自然の持つ時間が平家滅亡の引導を渡した。善悪を超え、気まぐれな天の配剤といっていい。

 原稿のテーマは標記の原発本。著者である青木美希の意外なキャリアに注目した。97年の北海タイムス入社を皮切りに、北海道新聞、朝日新聞と籍を変えながら、「道警裏金問題」「プロメテウスの罠」「手抜き汚染」で新聞協会賞を3回受賞している。非凡な取材センスと粘りがあるのだろう。しかし、2020年彼女は同じ編集局内でも記事審査室の配属となり、記者という名刺で取材はできなくなった。原発をライフワークとする彼女は、勤務時間外に自費で原発関連取材を重ねていく。まとまったので、文春に掛け合い、22年2月の出版予定となった。ところが朝日には「社外出版手続き」という関門があり、そこに引っかかり、最後まで認めなかった。諦めない彼女は、原稿やプロフィールから所属する会社がどこかという表記を削り、私的営利を求めないと宣言して23年11月、見切り発車で出版に漕ぎ着けた。言論の自由を個人で守り抜いた。もちろん退社覚悟である。

 この事実は新聞社ジャーナリズムの限界を示唆している。大幅部数減と広告収入の激減での経営窮迫は、気骨のある記者を抱えることはできないと宣言したのも同じ。朝日OBでもある星浩は、独自の調査報道を進めるには記者たちがNPOを作って情報を集め、記事をメディアに配信して収益を得る段階にきているという。雇用に頼らない資本から独立した働き方が大きな潮流になっていくことは間違いない。

 本題が最後になってしまった。能登半島地震に於ける志賀原発の対応を見ると、「組織文化が強く、思考停止こそ元凶」とする青木の指摘はその通り。北陸電力の思考停止は「何が起きても異常なし」。組織の荒廃に直結し、良心もやる気も打ち捨てて、能面のような表情で毒皿を地で行く。柏崎刈羽原発も然り。再稼働のお墨付きをもらったところにこの地震で頭を抱えているが、官邸で仕切る通産官僚の嶋田隆首相秘書官は諦めることはないだろう。政府の子会社となった東電の経営をこれ以上苦しくするわけにはいかないと、時間稼ぎをしたうえで再稼働に動き出すだろう。

 原発を止めるために、第2の原発重大事故を待つしかない。そんな論も冗談だろうと、いえなくなってきている。ぜひ、一読してもらいたい。辺野古移設もそうだが、とんでもない理不尽が行われている。重いペンを置きます。いつまで続くかわからないが。今年もよろしく。

 

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