不思議な書縁

「響はこの世で、社会的な仕事をしなくても、別によいと思う。だから今のところ、障碍が比較的軽い時期が続いたとして、授産所などで仕事をさせよう、という想定はしていない。もちろん、彼女がしたいと言えば、その場所を必ず見つけるけれど。生き抜くことが、楽しく生きることが彼女の仕事であり、それによって力を与えられた僕と連れ合いの陽子が、社会的な仕事をする。生活費を稼ぐ。それで良い。(略)。するとやっぱり、百歳までも働かなければな」。前々回(?310)“小児病棟”で紹介した堀切和雅の、響ちゃんと生きていく宣言だ。新聞連載が終わるや否や、集英社新書「娘よ、ゆっくり大きくなりなさい~ミトコンドリア病の子と生きる」として本になった。付記に自分にいい聞かせ、自らを奮い立たせるように、響ちゃんの生きる意味について書いている
 2001年8月29日が響ちゃんの誕生日。穏やかな充足の日々は3日しか続かなかった。異様に泣き叫び、痙攣が見られるようになる。日赤医療センターの新生児集中治療室に入院。しかし、5ヶ月以上検査をしても病名がつかない。首が据わらないなど発達の遅れがはっきりしだし、MRIは前頭葉の萎縮を写し出す。
 セカンドオピニオンを得るべく小児神経学のある東京女子医大病院に出向き、再び厳しい検査を受ける。髄液検査などは親として耐えられないものだ。そして、慢性的に悪化していくミトコンドリア病と告知される。診断にほぼ10ヶ月要したことになる。告知直後にイギリス旅行に連れ出したのは、何が何でも育て切るぞという夫婦の覚悟でもあったようだ。奥さんは仕事をやめ、堀切のスケジュールも療育優先となる。
 響ちゃんが笑う、話し出す、予想しない時に歩き始める。それらがかけがえのない喜びとなり、あらゆる治療、養育などに挑戦する堀切夫妻がここに到達する。「響がいる人生が僕らの人生なのだ。それは選択の問題を超えている」。
 いま1冊がある。上越市の文教堂書店で、手にした「この社会の歪みについて~自閉する青年、疲弊する大人」。出版社はユビキタ・スタジオ、初めて聞く社名である。新書レベルで、1200円は高いと思ったが、精神科医の野田正彰が著者ということで買った。読み終えて、何気なく奥付を見ると、発行人、編集人が堀切和雅となっている。このユビキタ・スタジオこそ百歳まで働かなければならないと設立した有限会社で、この本が第1号の出版物だったのである。間違いはないと思う。全くの偶然とはいえ、この不思議な巡り合わせに、書縁とでもいうべきものかもしれないと、ひとり感じ入っている。
 野田正彰は「この社会の歪み」で、的確に日本の病理を指摘している。明治以来富国強兵を旗印に突き進んできたが、その強兵の方の敗戦が1945年であり、富国の方の敗戦が1990年頃といえる。90年代ではふたつで失敗している。ひとつはワークシェリング。フリーターが増える一方で、正社員は非人間的長時間奴隷労働を強いる結果になっていること。もうひとつは、経済発展している社会が必ずしも幸福な社会ではないにもかかわらず、惰性で、そのことも討議しないで決めていること。したがってどういう社会が幸福な社会かについても議論されることはない。
 日本の政治家や権力者は、危機感をいかにして煽るか、そのパフォーマンスの能力で地位を獲得している。いつも危機だ、危機だといって、不安をエネルギーにする社会を作ってきた。そんな歴史に押され、不安がない限り生きられなくなってしまい、働き、努力する動機も不安以外に失ってしまっている。
 さて、ユビキタ・スタジオとわがユーウィン、昨年の同時期にスタートを切った同じ有限会社だが、意気込みが全く違うようだ。でも、心からエールを送りたい。

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