岩手県八幡平の裾野に広がる、人口7,000人の小さな村。そこの青年団にミュージカル公演の話が持ち込まれた。東京からやってきた美人の劇団オルグは、この村を元気にするためにこの公演をぜひ、と熱っぽく語る。オルグというのは地方回り営業程度に考えてもらいたい。公演諸費用65万円は大金、とてもできないというのが大勢だったが、青年団長は「赤字になったら、俺が牛を売って弁償する」と開催を決める。目標650枚のチケットは、そんなこともあり完売となった。ところが開催直前になって、中学校の体育館を会場としていたが、その校長から有料の催しには貸すことができないと断られてしまう。追い詰められた中で、美人オルグは「無料ならいいのですね」と校長に念を押し、「自分達は金儲けのために芝居をしているわけではない。無料でやるのは苦しいけれど、みなさんのこれまでの熱い取り組みをみていると中止するわけにはいかない。無料であってもやります」ときっぱりといい切った。当日は入りきれない村民でごった返し、大成功に終る。青年団員達は涙を流しながら、劇団員の歌う“別れの歌”に唱和する。
山田洋次監督が手がけた映画「同胞(はらから)」の筋書きで、統一劇場の誕生をモデルにしている。75年の製作で、ことさら美人オルグと断ったのは倍賞千恵子が演じていたからだ。
今回は倍賞千恵子とは似ても似つかない、演劇の磁力に惹きつけられた56歳の男の話である。「劇団ふるさときゃらばん」の制作部に属しているが、いわばオルグ。この劇団は統一劇場から分かれて、83年小金井市で設立された。ボーリング場の跡地で地下が稽古場になっている。「人が住み、暮らしているところなら、どこにでも人々の集いができ、公演活動ができる」を目指し、全国各地で上演活動を行っている。スタッフ・役者は60人。年間公演回数150回というから、制作部は大変である。公演の引き受け先を捜し当て、チケットなどのさばき方を指南して何とか成功させなければならない。1回の公演であっても真剣さを欠いていては、劇団経営はやってはいけない。それほどの困難も承知で、56歳男は飛び込んでいった。
忘れもしないその日は、99年11月3日。富山県利賀村での公演のあと、打ち上げ呑み会で「俺は “ふるさときゃらばん”でやってみる」と宣言した。利賀村といえば、鈴木忠志率いるSCOTの活動拠点であるが、村のばあちゃん達は「ふるきゃら」の方が好きなのだ。「ムラは3・3・7拍子」「裸になったサラリーマン」「親父と嫁さん」など、素朴で、力強くて、楽しくて、そして悲しい。それがこの劇団の真骨頂。涙を流さんばかりの感動ぶりを肌で感じたこの男は、後半の人生をこの劇団に賭けてみようと決心したのである。45歳であった。最大のピンチであった国交省の道路財源広報予算での「みちぶしん」事件もくぐり抜けている。
といっても、この不況の影響をもろに受けているのが文化団体である。とりわけ人間を多く抱える劇団は厳しさを通り越し、崖っぷちといっていい。男はいう。「こんな時代だからこそ、ふるきゃらが必要なのです」。そんな心意気に呼応して、協力することにした。
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その上で、聞いてほしい。6月18日取材のために来富した、音楽演出の寺本建雄を囲む呑む会に一緒した。1年下の62歳だが、総曲輪で買い込んだ赤いシャツを着込んでいる。都庁の職員から転じた「ふるきゃら」設立からのメンバーで、立川談志とも通じ合うという。劇団ミュージカルのすべてが彼の手になる。独学ながら天才なのだろう。この感性をもってすれば、期待を裏切らないと思う。ぜひ来場願いたい。申し込みはkoda@pa.ctt.ne.jpでも結構です。待っています!
ふるさときゃらばん公演
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